最終更新:2011年2月1日


日本台湾学会台北定例研究会
第9-12回

第12回
日時 2002年11月1日(金) 18:30-20:30
場所 国立台北師範学院 行政大楼506室(社会科教育系討論室)
(台北市大安区和平東路2段134号)
報告者 三澤 真美恵 氏
(東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程3年)
テーマ 「何非光、越境する身体―「忘却」された抗日「台湾人」映画監督」
使用言語 中国語(中国語を話すのが苦手な人の質疑には適宜サポートします)
会費 無料

第11回
日時 2002年9月27日(金) 18:30-20:30
場所 国立台北師範学院 行政大楼506室(社会科教育系討論室)
(台北市大安区和平東路二段134号)
報告者 田畠 真弓 氏(台北医学大学非常勤講師/台湾大学社会学研究所博士後期課程)
テーマ 「日台半導体提携-社会システムとしてのハイテク企業ネットワーク」
使用言語 日本語
参加費 無料
参加体験記
 第11回台北定例研究大会は2002年9月27日、国立台北師範学院にて開催され、田畠真弓女史(台北医学大学非常勤講師/台湾大学社会学研究所博士後期課程)による「日台半導体提携-社会システムとしてのハイテク企業ネットワーク」と題する研究の枠組みが報告された。
 本報告の研究テーマは、往々にして経営学的アプローチを要とし、マクロ的な経済資本の解析を命題とする。しかし女史の研究テーマは「社会ネットワーク理論」という社会学的見地から社会資本(Social Capital)、即ち人対人、組織対組織との間から産出される資本を解析することに焦点が当てられている。なぜなら、構造主義の言を借りれば、個人は常に社会構造に対し影響を与え、社会構造は個人に影響を及ぼす。よって個人の嗜好が激しく変化するポストフォーディズムの時代においては、経営環境のみで現実を解析するには限界があり、個人や組織関係からの考察が求められるからである。
 とりわけ注目される半導体というハイテク産業は、技術革新のスピードやライフサイクルの変化は極めて速く、市場の要求に合わせるべく、極めて資本、技術集約的産業であることから、かつてないほど国際間提携が頻繁に行われ国内、国際を問わず産業領域間ネットワーク(社会資本)が形成され易い領域であるという。特に女史はこの提携(ネットワークの形成過程)に関し台湾企業は元来地縁、血縁というインフォーマルな関係を元に企業間提携を行っていたが、ハイテク産業は極めてグローバルな活動を主軸とするが故に地縁、血縁に頼らないフォーマルなチャンネルを通し提携を模索していると述べ、その鍵は如何に相手国の文化、言語、法制度、商習慣、そして市場構造という文化ギャップを克服するかにあると指摘している。
 台湾の国際間半導体企業提携を考察する際注目に値するのは、1995年以前には米台間企業提携が大多数を占めていたにも関わらず、1996年以降においては日台間の提携、特に合弁企業が急増し始めたことである。その主要背景として、経済学的視野においては台湾企業が米国企業との提携を通し、技術的に安定した垂直分業生産システムを形成したことを受け、日本企業は「リスク分散」を目的に台湾企業へ生産を委託したと理解されている。一見企業提携においても、我々日本人から見れば、日台は比較的文化的差異が極めて小さく、提携や市場参入は容易だと考える傾向が強い。だが、女史の研究調査によると、思いに反して逆に日本文化を受け入れられない、或いは理解できないと答えたものが圧倒的であり、日台の文化的接続は思うほど容易ではなく、台湾政府高官は、日本の文化的参入障壁の高さとそれを克服できる人材育成が急務と答えるなど、私たち日本人の持ちがちな「日本文化の良き理解者台湾」は既に謬見であるという。
 よって、経営学的アプローチに加え、台湾企業が如何に日本という閉鎖的な文化障壁を乗り越えネットワークを築き、日本の産業へ参入したのかという多分にマクロ的な側面が解析されてこそ、今後の国際的に広がる企業間ネットワークの拡大をトレースする新たな組織分析アプローチが可能になるとの今後の研究要点が論じられた。また、質疑応答では参加者より、今後その文化ギャップを計量化することは可能か?そして、中台という文化的差異の小さい両者においては、ネットワークは日台と比べ何が違うのか等、計量と比較の要求がなされたが、まさにこれらの項目が新たに設定され相対化されることで、社会システムとしてのネットワークがより明確に見えてくるのではないだろうか。(東條雄隆記)

第10回
日時 2002年7月31日(水) 18:30-20:30
場所 国立台北師範学院 行政大楼506室(社会科教育系討論室)
(台北市大安区和平東路二段134号)
報告者 伊藤 信悟 氏(富士総合研究所/台湾経済研究院)
テーマ 「中台WTO加盟による中台経済関係の変化」
使用言語 日本語
参加費 無料
参加体験記
 7月31日開催の台北定例会のテーマは「WTO加盟による中台経済関係の変化」で,報告者は富士総研の伊藤信悟氏であった。報告の要旨は以下のとおりである。
 WTOは昨年11月、中国と台湾の加盟を正式に承認した。このことが、台湾政府が今活発に議論している「三通」(大陸との通商、通航、通信の解禁)をある程度促進させる効果を持つことは間違いない。というのも、三通規制の中にはWTOルールに違反する分野がいまだにたくさん存在しているからだ。台湾は、 WTO加盟により「三通」促進を国際公約したことになり、その圧力の下この問題の進展の速度を上げざるをえなくなった、といえる。
 台湾政府は、2001年8月以降、経済発展諮問委員会議両岸組のコンセンサスに基づき、徐々に「三通」規制の見直しを進めている。通商、とりわけ貿易に関していえば、以前は対中輸出、対中輸入とも、第三国・地域の業者を経由しなければならなかったが、2002年の2月より、中国の業者と台湾の業者が、直接、契約を結ぶことができるようになった。しかし、通信分野を例に挙げるならば、現在でも台湾と中国との直接的な通信は禁止されており、中国企業は、台湾の通信サービスへ参入することができない。この規制は、当然WTOルールに違反している。
 将来、両岸当局が「三通」規制の見直しを順調に進めていくならば、台湾と大陸との経済的な関係はより緊密なものとなると予想される。それにともない、台湾企業が製造拠点をコストのかからない大陸に移す動きを加速させることにより、台湾内の産業空洞化が進むのではないかという懸念があるが、先行研究の多くは、現時点ではその様な現象が起こっていないと結論付けている。しかしその一方で、研究に使われているデータが最新のものではないという点、また、最近の台湾経済の不調と失業率の上昇という点を考慮して、果たしてそのように結論付けることができかどうか疑問が残っている。そして、この「産業空洞化」を検証する際、採用する指標や検証期間により結論が大きく左右されるため、検証基準を統一することが課題として求められているのが現状である。
 報告を聞いてこれから注目してみたいと思ったのは、中台のWTO加盟により、WTOルールに抵触する三通規制がどのように改変されていくのか、そして、その動きが、WTOルールに抵触していない三通規制の解除のスピードにどのような影響を与えていくのか、である。WTO加盟がもたらす中台間の経済関係の変化は、将来、両者の民間レベルでの交流、さらには、政治的な問題においても大きな影響を与えることは間違いない。今回の定例会に出席して、この地域の関係を見る新たな視点を学ぶことができたと思う。(名越正貴記)

第9回
日時 2002年6月26日(水) 18:30-20:30
場所 国立台北師範学院 行政大楼506室(社会科教育系討論室)
(台北市大安区和平東路二段134号)
報告者 洪 有錫 氏(長庚大学医療管理学系)
テーマ 「先生媽,産婆與婦産科医師」
使用言語 日本語
参加費 無料
参加体験記
 2002年6月26日(水)、国立台北師範学院で開催された日本台湾学会第9回台北定例研究会は、長庚大学医務管理学系副教授である洪有錫氏が「先生媽、産婆與婦産科醫師」というタイトルで報告された。
 報告者は1960年に雲林で生まれ、73年から97年まで日本で過ごし、その間山形大学医学部を卒業され、その後東京大学で博士号を取得し、現在のポストに就任された。報告者が研究しているのは台湾の医学史であり、現在台湾で医学史の研究しているのは5,6人と言うことである。報告者が特に研究しているのは、日本植民地時代に人々が医療技術をどう受け入れていったかである。報告ではまずこの点に言及され、医療制度は社会構成の1つのツールであり、日本統治時代は医療のマン・パワーを通じて社会を構成したことを指摘した。統治時代の医療については評価がする人が多く、台湾の人々のメンタリティーにも報告者は興味を持っているとのことである。
 今回の報告は、日本統治時代のお産がどのように行われていたかについて分析したものである。タイトルにある先生媽、産婆、婦産科医師の定義・区別について、詳細な説明が行われた。産婆や婦産科医師(産婦人科医師)は大体のイメージを作り出すことは可能であるが、先生媽という言葉はほとんどの方が聞いたことがない言葉であろうかと思う。先生媽とは自分がお産を経験している人、また代々それを家業にしてきた人もあるという。この言葉自体は、公医雑誌に出てくる言葉であるが、記述が非常に少ない。統治者は先生媽について、消毒が出来ないなどのことで否定的にとららえている一方で、1940年代では60%以上のお産介助をしたという。
 こうしたお産に関する職業が台湾ではどのように形成されたかについても、詳細な検討が行われた。また、当時の医学学校がどのような経緯で設立されたか、当時の医局についても、第2次世界大戦前後でどう変化したかについても合わせて説明された。さらに、当時の総統府がお産や医療についてどう考えていたかについても検討された。
 その上で、台湾南部(台中、台南)でのお産がどのようにして行われたかについて当時の統計資料を駆使しながら検討された。その中で、どうして日本統治末期に至っても産婦人科医が避けられ、先生媽に頼って女性が出産したかについて、検討された。報告者によると、当時の女性は医者の技術レベルが優れていても、また衛生的にも医者が優れていても、そうしたことを求めていなかったという分析をされた。また、産婆についても、お金が必要であることから一般民衆からは避けられる傾向があったことも指摘された。
 このようなお産に関する発表後、報告者ご自身の問題を率直に言われた。医学史をしていても、政治・経済が理解できないために大きいバックグランドが理解できないとのことである。また、台湾の医学雑誌についてはバックナンバーがあり、また台湾大学が設立100周年を迎えた時にこれらの雑誌を再整理したとのことである。さらに、今年11月には台湾医学会が設立100年を迎えるとのことである。この学会が発行している雑誌は、台湾で唯一植民地時代から続いた雑誌とのことである。これから、雑誌を全部スキャンして、ネットで公開することも検討していると報告された。貴重な資料が多くの研究者に提供されることは、これからの研究に更に裾野を広げることにつながると考えられるので、できるだけ早く公開する環境を整えて欲しいものである。
 報告者の発表を聞いて、統治時代のお産、あるいは医療がどういう形で行われていたかについて非常に興味深く話を伺うことが出来た。今後、このような分野の研究が発展していくことを願っている。今回のような発表は単に医学史で考えるだけでなく、社会開発などの分野においても大切な論点を提出すると考えられるからである。今回の発表で惜しかったのは、報告者はパワーポイントのみで発表を行ったため、レジュメを配られなかったことである。報告内容について全く予備知識のない者にとっては、報告内容を簡潔にまとめられたレジュメは重要なものだと言える。(池上寬記)

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