最終更新:2011年2月1日


日本台湾学会台北定例研究会
第17-20回

第20回
日時 2003年11月8日(土) 14:30-16:30
場所 国立台北師範学院 行政大楼506室(社会科教育系討論室)
(台北市大安区和平東路2段134号)
報告者 黄 国超 氏(清華大学人類学研究所碩士・成功大学台湾文学研究所博士班)
コメンテーター 黄 智恵 氏(中央研究院民族所)
テーマ 「従神聖到世俗:泰雅族改宗過程中的Utux(神霊)、Gaga(規範)、Niqan(信仰団体)角色変遷的探討」
使用言語 北京語
参加体験記
 立冬というのに全国各地で気温が30度を上回る好天気となった11月8日(土曜日)、第20回台北定例会が開催された。場所はいつもの台北師範学院。当初の予定では、14時30分からの開始となっていたが、報告者の到着が事情により遅れたため、40分ほど遅れて開始となった。20人近くが集まった。
 報告者は成功大学台湾文学研究所博士課程の黄国超氏。同氏は今回、同氏の修士論文(清華大学人類学研究所)のうち第5章を抜き出し、これを北京語で報告した。ちなみに、台北定例会で人類学関係の発表が行われたのは初めてである。
 今回の報告のタイトルは『従神聖到世俗:泰雅族改宗過程中的Utux(神霊)、Gaga(規範)、Niqan(信仰団体)角色変遷的探討』で、新竹県尖石郷の鎮西堡および新光部落に住むタイヤル族のうちほとんどが、戦後わずか50年間(特に1950~1960年の10年間)でキリスト教(大部分は台湾キリスト長老教会)の洗礼を受けていることに着目し、その原因を従来行われてきた外在的要素ではなく、タイヤル族の文化背景や習慣、考え方などの内在的要素に見出すというものだった。報告者はこの論文を執筆するために、過去の文献を初めから読み直すほか、複数回のフィールドワークを行い、日本統治時代から定着していたUtux、Gaga、Niqanといったタイヤル語の定義について見直しを試みたという(ただし今回の報告では、これらの言葉の定義には説明を加えなかった)。
 今回の報告に対してコメンテーターである中央研究所民族所の黄智恵先生は、黄国超氏がUtux、Gaga、Niqanといったタイヤル語の定義について見直し、新たな観点を持ち込んだことなどについて評価した。また、黄国超氏が報告の中で紹介した、聖書にあるモーゼの「十戒」の精神がタイヤル族に古来から伝わる「禁忌」と通じる部分が多く、これがタイヤル族がキリスト教を受け入れる大きな要素となっていると説明した部分などは、筋が通っており興味深い指摘だと述べた。さらに、タイヤル族には「地獄」という概念がなく、このためタイヤル族はこの概念をタイヤル語の「懲罰を受ける」という言葉で代用しているという指摘に対しては、キリスト教で最も重視される「愛」という概念も、同様にタイヤル族には存在しなかったものだが、タイヤル族はこれをどのように受け入れているのかなどと疑問を提示した。
 また参加者からは「問題提起に対する結論が説得力を欠く」「ほかの内在的要素も考えうるのではないか」「日本統治時代のUtuxを天照大神とのみ表記するのは短絡的過ぎる(論文27頁に対する意見)」「タイヤル族は各地に居住しているのに、筆者がフィールドワークの対象とした部落の例を挙げげて、それによりタイヤル族すべてを説明しようとするのは危険なのでは」などといった意見が出され、それに関する議論が展開されたほか、またアプローチの手法などについても意見が挙げられた。
 私は、キリスト長老教会の歴史や日本統治時代の宗教政策などにも興味を持っており、今回の報告を非常に興味深く拝聴した。ただし人類学は未知の分野で、今回、報告者および参加者の話を聞きながら、人類学という学問の難しさと敏感さを改めて感じた。ある参加者は、一部の部落の習慣や経験を1つの民族の習慣や経験と見なすことは「人類学者としての怠慢」だと指摘していた。また、「原住民の思想や生活は単純」「原住民は教育水準が低い」というような、原住民に対するありがちな先入観は、必ず排除しなければならないとも述べていた。しかしこれは、どの学問にも当てはまることである。われわれが台湾研究を行う際、一部の台湾人の意見を台湾人すべての意見とすりかえるようなことはしていないか、無意識のうちに先入観を抱いていないか、改めてその研究態度を顧みる必要があるだろう。
 これまで、台北定例会は金曜日の18時半から行われることが多かったため、議論は20時半で打ち切られていた。しかし今回は、土曜日の午後2時半からの報告だったため(ただし実際には約40分遅れで開始)、報告および議論に十分な時間を割くことができ、議論は18時まで続けられた。(永吉美幸記)


研究会終了後写真撮影

第19回
日時 2003年9月26日(金) 18:30-20:30
場所 国立台北師範学院 行政大楼506室(社会科教育系討論室)
(台北市大安区和平東路2段134号)
報告者 林 崇熙 氏(国立雲林科技大學文化資産研究所教授兼所長)
コメンテーター 氾 燕秋 氏(国立臺灣科技大學人文学科助理教授)
テーマ 「超越統獨與派閥――社區営造的一個可能性」
(「統独や地方派系を超えて―コミュニティー創造運動の一可能性」)
使用言語 北京語
参加体験記
 9月26日、台北師範学院で日本台湾学会第19回台北定例会が雲南科技大学教授の林崇熙により『統独や地方派系を超えて-コミュニティー創造運動の一可能性』のテーマで行われた。
 まず林教授は問題提起として台湾が現在抱えている社会構造の矛盾を指摘した。台湾は高度成長を遂げ、アジアでも有数の工業国家へと発展した。しかし発展に伴い都市に人口が集中し、農村の過疎化が進行し、伝統的社会関係が崩壊しつつある。また国内市場は国営企業が壟断し、中小企業は国外に発展を求め、台湾の発展は自分達の故郷、文化、環境の保護などにあまり関心を持たず、経済発展したものの、文化的には非常に貧困な発展だったことを説明した。
 このようないびつな社会構造をどのように改善させるか、従来の政府主導の開発では中央政府と地方派閥の癒着や利権政治がはびこり、住民軽視の開発が行われていた。こうした政府主導の開発から脱却し、教授が自分の故郷のコミュニティー建設に参与した経験を基に、市民主導の改革の可能性を提唱した。今回の研究の対象地となった場所は林教授の故郷で、再開発以前は台湾の他の都市と同様、看板が乱立し、規律が全く無い景観だった。そのため乱立した看板を撤去し、商店街共通の看板を使用するなど、街道の景観を改良することを提案した。
 当初、住民は景観の改善などに大きな関心を持っていなかったが、住民間の話し合い、都市の景観を改善した街を参観することによって、住民たちの問題意識を徐々に共有でき、計画が軌道に乗り始めた。しかし921地震が起き、この地震の結果、予算も削減され、計画は一時頓挫してしまった。だが921地震を経て、街をどのように再建させるのか、住民達の関心が高まり、住民間でどのように商店街を再建するのか話し合いをし、地震の再建のため、倒壊した住居の撤去、改修を行い、再開発を推し進めた。
 商店街の改修が終了後、道路も舗装し直し、商店街の景観を一新させ、伝統的建築物を生かした景観へと改良した。その後も商店街で定期的に講演会、演劇など様々なイベントなどを主催し、住民間のコミュニケーションを活発化し、商店街そのもの活気も活性化させる結果となった。 このように活発化させたコミュニティー建設を通して、住民主体の開発の可能性を述べた。
 討論では、今回のテーマ名である『統独や地方派系を超えて』と、発表の主な内容だった民間主導による町おこしについて、主題と、実際のテーマとは少しずれがあるのではないのだろうかと質問された。それに対して、林教授は今回のテーマ名には現在の台湾政治は統独問題のみが強調されがちで、住民たちに密接な問題が軽視されている現状を再び説明し、イデオロギー的な政治論争から脱却し、より現実的な問題を解決の重要性を強調する意味で、このテーマ名の目的があると返答した。
 今回は成功したコミュニティー建設を例に発表されたが、私は以前台湾中部郊外の街での民間主導によるコミュニティー建設を見学したことがある。しかしこのコミュニティーのプロジェクトは結果的には住民の方向性の違いから、激しい対立を引き起こし、新しいコミュニティーを建設するどころか、その土地の人間関係を破壊する結果になってしまった。各地それぞれ特色が異なるため、今回の成功例をそのまま、そのまま他の地区に応用することは難しいと思う。しかし私自身、2年近く台湾に住んでいて、林教授が指摘したような無規律な都市の発展には少しうんざりしている為、こうしたコミュニティー再建がより住民主体の都市の開発への変化へと促せば、幸いだと思う。(水野真言記)

第18回
日時 2003年8月12日(火) 18:30-20:30
場所 国立台北師範学院 行政大楼402室
(台北市大安区和平東路2段134号)
報告者 若林 正丈 氏(東京大学)
テーマ 「台湾ナショナリズムの「忘れ得ぬ他者」
使用言語 日本語(コメンテーターはつかず、中国語への同時通訳あり)
参加費 無料

第17回
日時 2003年7月4日(金)18:30-20:30
場所 国立台北師範学院 行政大楼506室(社会科教育系討論室)
(台北市大安区和平東路2段134号)
報告者 佐藤 幸人 氏(アジア経済研究所)
テーマ 「台湾半導体産業のもうひとつの源流」
使用言語 日本語
参加費 無料
参加体験記
 第17回日本台湾学会台北定例研究会が2003年7月4日、台北師範学院で開催された。今回の研究会は台北定例研究会の発起人である佐藤幸人氏(アジア経 済研究所/中央研究院社会学研究所)が帰国されるのに伴い、佐藤氏本人による記念すべき講演となったこと、また、一連のSARS騒ぎ後初の研究会となった ことから、非常に貴重な研究会となった。報告内容は「台湾半導体産業のもうひとつの源流」で、報告は日本語で行われた。
 まず、報告にあたり、佐藤氏は予備知識としてテーマにもある「半導体」について、半導体をシリコン・IC(集積回路)との比較から説明され、その主要な3工程として設計→fabrication→組立という流れを説明した。
 そして、本研究の目的とアプローチの階層的構造として、目的を「台湾の経済発展のメカニズムを解明する。それは台湾の経験から教訓を引き出すこと、ある いは複製の可能性を探ることでもある」と述べ、特に電子産業を取り上げられたことについては「電子産業は経済発展の主役であったので、目的に照らして最適 の対象である」と述べている。また、アプローチについては基層部分としてB.ジェソップの理論を援用し、主体の自律性・戦略―關係アプローチ・偶発性の各 角度から台湾の半導体産業を分析し、直接用いるアプローチとして劉進慶、末廣昭、P.エバンズなどが提唱する「三者関係」理論、つまりその三者とは国家・ 外資・local capitalなのであるが、これらを取り上げ、さらに、既存のアプローチに対する修正=理論的インプリケーションとして焦点の所在・「社会」・国家につ いてそれぞれ言及した。そして、台湾の半導体産業については「三者関係」理論のうちのlocal capital、佐藤氏の理論では「社会」が主役なのではないかと述べた。
 次に、研究全体の構想として台湾電子産業の発展過程の総合的な理解と称し、1960年代を内向きの島内市場と外向きの安い労働力を生かした輸出の時代と 位置づけ、それらが現在のPC産業及びIC産業に発展する過程において、1970年前後に興った新興企業の存在を一つのポイントに据えられた。そして、半 導体産業においては、その時期に次々と興った新興企業が現在のIC産業に発展するまでの課程で、過去の研究、特に国家理論アプローチでは政府の役割ばかり が強調されることが多かったが、実はそれにもう一つ、豊富な知識と経験を持ったマンパワーの存在をも重視する必要があるのではないかと述べた。
 続けて、台湾電子産業の挑戦と挫折と銘打って、環宇・萬邦・三愛などの新興企業を事例にその挑戦と挫折を個々に紹介し、そこからどのように国家プロジェ クトに結びついていったのかを証明した。また、その国家プロジェクトについては企画の過程でどのような偶然性が潜んでいたのか、また、計画に参加した人た ちの背景と動機についても大きく4つのパターンに分けて紹介した。
 今回の佐藤氏の発表で興味深かったのは、工業技術研究院(工研院)の創立、そこでの先端技術の研究開発、民間企業への技術移転、及び人材の育成などが 1980年代以降台湾の半導体産業が発達していくうえで重要な要因として挙げられていたことである。私自身もそれらが台湾半導体産業の発展経路のもう一つ の源流であったのではないかという佐藤氏の意見に賛成である。(劉慶瑞記)

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