最終更新:2011年2月1日


日本台湾学会台北定例研究会
第21-24回

第24回
日時 2004年6月25日(金) 17:00-19:00
場所 国立台北師範学院 行政大楼506室(社会科教育系討論室)
報告者 所澤 潤 氏(群馬大学教育学部)
コメンテーター 黄 紹恒 氏(国立政治大学経済学系)
テーマ 「台湾のバスの最初の女性運転手―オーラルヒストリー採集で出会った事例―」
(「台湾首位公車女司機之口述歴史訪談個案」)
使用言語 北京語
参加費 無料
参加体験記
 6月25日金曜日、国立台北師範学院にて第24回例会が行なわれた。参加者はちょうど20名。報告者は群馬大学教育学部から国立台北師範学院に1年間訪問学者として来られている所澤潤氏だった。テーマは「台湾首位公車女司機之口述歴史訪談個案(台湾のバスの最初の女性運転手―オーラルヒストリー採集で出会った事例―)」。
 この日は、陳邱完妹氏という今年96歳になる女性から聞き取った彼女の前半生が話題となった。そのオーラルヒストリー採集は、所澤氏個人の聞き取り経験の中でも特例にあたるという。なぜなら、通常の聞き取りでは対象者の自我形成史に取材ポイントを置き、質問内容が学校時代や軍隊経験中心になるのに対し、陳邱氏のものは社会人としての仕事経験が中心になっているからである。
 所澤氏は、発表当日直前を含め8年間で計7回この女性を訪ね、彼女の前半生を7段階に区分した。第一段階は明治41年の出生時、続いて第二段階は学校時代、第三段階から第七段階はバスの運転手をはじめとする職歴であった。それぞれの段階について彼女の体験をとおして人間関係や社会事情が検討された。今回の報告は、終戦後国民党政府の接収後も病院勤めを続けた、というところまでを取上げられていた。
 オーラルヒストリーを作成する場合、個々のことがらの裏づけを得る必要があり、バスの女性運転手に関するさまざまな事項の事実確認の経過も紹介された。しかしその作業は資料の不足から困難を極め、本来残されているべき基本的な公的情報が台湾史研究においてとても不足していることを改めて感じたという。その反面、オーラルヒストリーを通して失われた記録がある程度復元されることも確信したということであった。
 コメンテーターを務めた国立政治大学経済学系の黄紹恒氏は、オーラルヒストリーに潜む問題点として、特殊な存在、例を普遍化してしまう危険性を指摘された。今回のインタビューで言えば、彼女が従事した職業は、当時の女性としては大変特殊なものだったと言えるだろう、しかし一方で、淡水女学校で経験したという客家人とHo-ro人との対立は大いに有り得ることだということであった。また、かつての同僚たちと今日なお日本語名で呼び合い続けるといった心情は、戦後生まれの台湾人にはわからないものである、口述歴史には自分たちの思いつかない知見が含まれているのではないか、というコメントが印象的であった。
 続いて、おそらく参加者の中で唯一、戦前台湾社会を実際に生きてこられた張寛敏氏(国立台湾大学教学教授)が発言された。氏自身が所澤氏の聞き取り調査の対象であり、「所澤さんにうっかり言うたことが(記録に)残ってしまう」が、「オーラルヒストリーにしか取り出せないデータがある」、「聞き取りをまとめるのは大変な労作だ」など、インタビューされる側からのオーラルヒストリー研究への見解が示された。
 その後、所澤氏は数名の参加者の質問に答える形で、インタビューのテクニックの要点をいくつかまとめられた。ご自身が10年以上取り組んできた民間人へのインタビューの場合(一方で、所澤氏は日本の政治家や元官僚など公人に対する聞き取りのプロジェクトにもたずさわっていらっしゃる)、①聞き手が複数だとインタビュー対象者は威圧されて口が堅くなってしまう可能性があり、また対象者の態度などを判断して自分がわざと控えていた質問を、別の聞き手が聞いてしまって雰囲気や信頼関係が壊れてしまう虞れもあるので、所澤氏の場合は、これまで台湾では、質問者は一人とし、そのかわり何度も訪問を重ねて聞き漏らしたことを確認する方法をとってきた(複数の質問者で質問して聞き漏らしを減らすという方法は、台湾で聞き取りを行なう場合は採っていないそうである)、② 一般の人の場合、人によっては、いきなり小さい時からの経験を順番に辿って整理しながら話すといったことが困難なこともある、話しながら少しずつ記憶をたぐっていくという形になるので、その場合は聞き取った後でそれらの内容をいくつかの時期ごとにまとめていくようにしなければならない、③所澤氏が台湾で行なってきた経験では、原則として、何が聞きたいかを事前に相手に言わないほうがよい、事前に伝えてしまうとこちらの期待していることを答えようとしたり、予め本を読んで調べてきたりしてしまうことがある、④事実に反すると思われる口述については、最後の訪問の際にさりげなく問うと、比較的相手に与える心理的影響が小さくてすむ、とのことである。
 日本語で得られたオーラルヒストリーを、たとえば北京語の論文などで引用する際の翻訳の問題についての質問には、「だいたいにおいて、北京語に翻訳することは不可能ではない。きちんとした北京語が書ける翻訳者なら95%は翻訳しきれるはずだ。しかし、最近ではかなり改善されているものの、かつては台湾で出版される口述歴史書のなかに、政治的な含意をともなった翻訳もよく見られた。例えば『抗日戦争』というような北京語訳が出てくることがあるが、インタビュー対象者が日本語でそう言ったとはとても思えない」との回答があった。
 なお、実際のインタビュー2回分を文字化した原稿の数センチの分厚い紙の束を研究会の席で見せて下さったが、その際に、作業量の膨大さに出席者から驚きの声があがった。そのことについて、あとで張寛敏氏が所澤氏に、「あれを見せて初めて出席者にオーラルヒストリーがどのようなものかわかったのではないか」と話されたということであった。その点を所澤氏からうかがったので特記しておきたい。
 筆者も、未熟ながらみずからの研究で日本統治時代に生まれた人々への聞き取り調査を進めているが、所澤氏が事実の裏づけや、インタビュー対象者との信頼関係形成とその持続に大変神経を使いながら慎重に研究に取り組んでいることを知り、聞き取りの難しさを改めて実感した。その反面、戦前の台湾社会、日本社会を実際に走り抜けて来た人物の口から直接当時の事情を聞き取ることに所澤氏が情熱を傾け、研究者としてまた一人の人間として歓びを感じたり刺激を受けたりしていることも今回の発表から感じ取ることができ、大きな励ましにもなった。参加者からの質問も活発で、オーラルヒストリー研究への関心の高さもうかがわれた。(津田勤子記)

第23回
日時 2004年5月1日(土) 18:30-20:30
場所 国立台北師範学院 行政大楼506室(社会科教育系討論室)
報告者 天江 喜久 氏(ハワイ大学政治学 Ph.D. Candidate)
コメンテーター 王 昭文 氏(国立成功大学歴史研究所)
テーマ 「行過死蔭的幽谷:美麗島事件以來台灣基督長老教會和黨外反對運動的合作關係(1979~1987)」
使用言語 北京語
参加費 無料
参加体験記
 蒸し暑い一日となった5月1日、国立台北師範学院にて第23回台北定例会が開催された。今回の報告者は、ハワイ大学政治学博士候補の天江喜久氏。コメンテーターは成功大学歴史研究所の王昭文・女史。報告のタイトルは「行過死蔭的幽谷:美麗島事件以來台灣基督長老教會和黨外反對運動的合作關係(1979~1987)」で、北京語によって行われた。参加者は20人余り。
 天江氏の研究目的は、台湾民主化運動における党外運動と台湾キリスト長老教会の関係と、台湾民主化運動において長老教会の果たした役割を明らかにすることにある。天江氏によると、長老教会の歴史的な発展や建築物に関する研究、国民党政府対長老教会といった視点での研究は行われているものの、党外運動との関わりという観点から政治学的に長老教会の役割を説明した研究はまだ少ない。天江氏は研究を進めるに当たり、長老教会が発行する『教会公報』や教会の文献、政府の文献を用いたほか、長老教会やかつての党外人士など、数多くの関係者に対するインタビューを行ったという。
 天江氏によると、美麗島事件(高雄事件)が発生する前から長老教会の関係者と党外人士との接触はあったが、それは個人的な交流に限られていた。美麗島事件後、指名手配中の施明徳氏をかくまったことで教会関係者が投獄され、これをきっかけに長老教会は各地で投獄された教会関係者のために祈祷を行うようになり、また家庭礼拝を通じて党外人士など政治迫害者の家族を信仰へ導くようになった。天江氏は、長老教会と党外人士との接点として、礼拝が果たした役割を大きく評価している。
 また天江氏は、長老教会が非常に組織化されており、リーダーを選挙で選ぶ制度を早くから確立させていたことに着目し、台湾の民主化以前に、長老教会がすでに民主制度を認識していたことの重要性を指摘した。また、長老教会の特徴として、本土認同、実話化神学、先知的角色の3つを挙げた。そのうち実話化神学とは聖書の解釈に関するもので、1970年代になって長老教会が主張するようになった「self determination(自決)」の概念は、長老教会が「自決」を神から与えられた権利として解釈したことによるものだという。
 この報告に対してコメンテーターの王昭文・女史は、長老教会の台湾アイデンティティーに関する説明が不足していること、教会側の資料を多く使用しているため、観点が教会の立場に偏っているのではないかと指摘した。また、国民党政府の教会に対するコントロール、国語教会と台湾語教会の対立、海外の台湾独立運動団体と教会の関係、アメリカ政府の台湾長老教会に対する立場、など幅広い視点からの説明を行うべきとのアドバイスが提示された。また会場からは、長老教会は第二次世界大戦前から台湾で大きな役割を果たしてきており、戦後の動きだけでなく、戦前の歴史にも目を向けるべきとの声もあった。また研究のアプローチに関して、歴史学、政治学、社会学、神学など数あるアプローチのうち、どの視点を採用するかはっきりさせたほうがよいとの意見が挙がった。天江氏はこれに対し、台湾における神学の発展に着目していることを強調し、論文の別の章において、これについて詳しく述べていると指摘した。また今回の報告では触れなかったが、戦前の歴史についても重視していると述べた。
 台湾長老教会は、早くから強い本土意識を持ち、国民党政権下の白色テロの時代においても台湾独立を強く主張した、非常に特色のある宗教団体である。このため、長老教会と党外や台湾独立運動との関わりを明らかにすることは、現在の台湾独立運動を理解する手助けにもなるため、天江氏の研究は非常に価値のあるものだと思う。また、台湾における神学の発展に着目して、これを説明しようとする試みも新鮮である。
 ここで敢えて個人的な見解を述べるとすれば、台湾長老教会と党外との協力関係を説明するためには、やはりキリスト教の台湾上陸以降の歴史からその要素を見出す必要があるという点である。南京条約などによる開港に伴い、カトリックとプロテスタントはほぼ同じ時期に台湾に上陸したが、同じ長さの歴史を持つキリスト教のうち、プロテスタントである長老教会のほうは、なぜ「自決」を神から与えられた権利と解釈するようになったのか?同じ長老教会でも日本統治時代からすでに、イギリス長老教会を母会とする南部教会は、カナダ長老教会を母会とする北部教会よりも「本土意識」が強かったのはなぜか?南部教会で「本土意識」が強いことと、美麗島事件とそれに伴う長老教会と党外人士の接触との間に因果関係はないか?台湾長老教会の関係者のうち、どのような背景を持つ人物が党外と関係を持ち、またどのような人物は関係を持とうとしなかったのか?党外が党「外」でなくなった1990年代以降、長老教会と元・党外人士との関係は?また今回の報告では述べられなかったが、台湾長老教会のWCC(世界教会協議会)加盟と、国民党政権による「漢賊不両立」の外交政策との衝突なども、台湾長老教会の国民党政権への不満を募らせる要因になったという点で、党外との協力関係を促進した可能性も指摘できると思う。(永吉美幸 記)

第22回
日時 2004年3月21日(日) 18:30-20:30
場所 国立台湾大学 哲学系館 一階の大会議室
(台北市羅斯福路四段1号)
パネラー 頼 怡忠 氏(台湾智庫国際事務部主任)
渡辺 剛 氏(杏林大学)
松田 康博 氏(防衛研究所)
司会 佐藤 幸人 氏(アジア経済研究所)
使用言語 北京語が中心
参加費 会場費として1人50元
テーマ 「綜觀2004臺灣的総統大選――公投・制憲・族群・地域(南北)」
参加体験記
 大統領選挙翌日の3月21日に、台湾大学で第22回台北定例会がおこなわれた。もちろん話題は大統領選挙であり、松田康博氏(防衛研究所)、頼怡忠氏(台湾智庫国際事務部主任)、渡辺剛氏(杏林大学)をパネラーに迎えての例会は、参加者も40人あまりを数え盛況であった。テーマは「綜觀2004臺灣的総統大選-公投・制憲・族群・地域(南北)-」だったが、投票日前日には陳・呂候補に対する銃撃事件、さらに選挙の大勢があきらかになってからは、連・宋候補による選挙無効の訴えと、人々の予想をはるかに超えるであろうできごとが発生し、定例会の議論はさまざまな方向に広がった。したがって、以下で全般的な内容を網羅することは不可能であり、報告から抜け落ちてしまう部分がかなりあることをあらかじめお断りしておきたい。当日は、司会の佐藤幸人氏(アジア経済研究所)の進行のもと、まずそれぞれのパネラーによる20分ほどのコメント、続いてパネラーの間での質疑応答、さらに会場とパネラーの間での質疑応答という流れで議論が進行した。まずパネラーのそれぞれの発言のうちのいくつかを、簡単に箇条書きでまとめる。

渡辺氏
・ 今回の選挙で顕著だった泛緑の北部での票の伸長は何を意味するのか。
・ 銃撃事件によって、泛緑陣営が危機感を高めた、あるいは普段は投票には行かないであろう人々が投票所に向かったということはあったのかもしれないが、いわゆる「中間選民」の投票行動にはそれほど大きな影響を与えなかったように思う。
・ 選挙無効運動が展開されることになった背景には、元来の泛藍支持層の一部が今回の選挙で泛緑に流れたとみられることに対する危機感、また、政府攻撃の材料を確保しておきたいという意図があるのではないか。

松田氏
・ 選挙後の連宋の動きは、敗戦の責任を国親連合のあり方などみずからの側にではなく他に求めようとしており、これは今後の国民党、泛藍にとってマイナスに働くだろう。
・ 有権者の過半数が投票しなければ成立しない現在の公投法の規定はハードルがあまりにも高すぎるので、ある程度条件を下げなければ今後も成功は難しい。
・ 泛緑の勝利によって、すぐに中国との関係に変化が起こるということはないだろう。今後は両者の間で、どのように対話のための雰囲気を醸成していくのかということが重要な課題となる。

頼氏
・ 連宋は敗戦そのものは認めているのではないか。大統領府前での抗議行動も、一見藍緑の対決に見えるものの、実際には泛藍内部のつばぜりあいだろう。
・ 親民党は泡沫化を心配し、連宋支持の中心になっている。国民党の今後の対応いかんでは、年末の国会議員選挙で泛藍票のかなりの部分が親民党に流れる可能性がある。
・ 公投法を機能させるためには修正が必要だ。今後の制憲議論のなかで公投をどのように位置づけていくかということが国会議員選挙の行方ともからんでくる。
・ 陳政権の外交政策(とくに対米、対日政策)にとくに変化はない。ただ米国の大統領選挙で民主党が勝利した場合、米国の政策は対中関係をより重視したものになるだろう。

 その後は、たとえば泛藍の選挙後の戦略は果たしてどれだけの有効性を持っているのか、国会議員選挙の候補者決定までのプロセスにおいて、緑藍間で候補者の乗りかえが起こる余地がまだあるのかいなか、選挙戦中にもその投票行動が注目された「中間選民」なるものはそもそもどのような存在なのか、などといったことが話題になった。また、選挙の重要な争点の一つと思われがちな経済政策は、実はそれほど大きな要素にはなっていないのではないかという指摘は興味深かった。
 定例会からほぼ10日が経過した本稿執筆時には、選挙結果がくつがえるかもしれないという雰囲気はもはやほとんどなく、粛々と陳政権2期目に向けての準備が進行しているように感じられる。ただ、討論でさかんに取り上げられた泛藍の今後の方向性については、いまだはっきりとした姿は現れていないようだ。
 今振り返ってみて、私自身、当日は何かしら気もそぞろであった。しかし、専門的な立場から選挙を観察してこられたお三方の見方や熱のこもった議論は、この数か月の間の激しい選挙戦や今後の政局に対して、素人的にではあるが、冷静にあれこれ思いをめぐらすことを可能にしてくれたように思う。もっともその後の1週間は、やはり落ち着かない非日常を過ごさざるをえなかったのであるが。 (冨田哲 記)

第21回
日時 2004年1月10日(土) 18:00-20:00
場所 国立台湾大学 哲学系201号室
報告者 若松 大祐 氏(国立政治大学歴史学系研究部碩士班)
若松大祐氏の論文(中国語)【PDF,中国語,414KB】
若松大祐氏の論文(日本語)【PDF,日本語,306KB】
テーマ 「愛國者、或是失敗者?――1950年代後半期台灣, 張學良的對自己歴史叙述」
使用言語 北京語
参加費 無料
参加体験記
 第21回台北定例会は2004年1月10日、台湾大学哲学系201教室で開催された。報告者は若松大祐氏(国立政治大学歴史学系研究部碩士班)、テーマは 「1950年代後半期台湾、張学良による自己叙述」、コメンテーターは薛化元(国立政治大学歴史学系主任)、佐藤将之(台湾大学哲学系教授)の両氏で午後 6時から行われた。今回は、発表内容が提出直前の修士論文であることから、報告者、コメンテーター共に、その最終確認といった意識が強かったように感じら れる。
 報告ははじめに、若松氏が自身の修士論文『向正史挑戰-1950年代後半張學良的自叙-』の要旨を日本語で読み上げた。それによると、若松氏は張学良が 1950年後半期に執筆した四種類(四篇)の自伝の分析を通して、そこに二人の話者(正当話者=「愛国者」としての話者⁄正統話者=「失敗者」として「教 訓」を述べ得る話者)が存在し、ともに「自己の過去の有用性」を主張するという構造を見出す。そして、四種類(四篇)を同時代の正史(=正統)との関係に おいて、それぞれ「正統性への応用」、「正統性への配慮」、「正統性の援用と検証」、「援用の強化」と定義する。さらにそれらの分析を通じて、張は「正当 の正統化」という方法を以って自己の過去の有用性を主張したという結論が導き出される。
 次に若松氏は、修士論文の第4章にあたる「形勢惡化-正統的套用與驗證-」の部分を北京語で発表した。これは上記日本語報告中「正統性の援用と検証」に あたる個所で、張の三番目の自伝「恭読『蘇俄在中国』書後記」の分析が示された。ここでは、先ず張が自身の過去を失敗と見做し、そこから正史(ここでは蒋介石の著書『中国の中のソ連』)と同じロジックに支えられた教訓を導き出す過程が説明される。また以前の二編では「抗日」をもって示されていた愛国者像が 「統一」に移っていることが指摘され、正当話者が正統話者の脈絡に併呑されていく姿が示される。そして、この自伝が「正史を援用しての是非の検証」である と定義された。
 以上の報告に対して、薛氏、佐藤氏の順でコメントが加えられた。両氏は当日の参加者には配布されなかった論文の全文を通読しておられた。薛氏は基本的に は若松氏の着眼点を評価しながらも、「文中の語句や概念が、中国語の文脈においては決して分かりやすいものでない」、「このような方法は「歴史研究」の論 文としては、一般的ではないので、充分な説明が必要である」といった、具体的な注意事項を挙げられた。佐藤氏からは、「本来、『正史』とは現政権(王朝) が前政権の歴史を書くことで、厳密に言えば蒋介石の著書は『正史』とは言えない」、「張学良は自己の過去の有用性を主張するために自伝を執筆したという が、『自伝』とはどこの誰が書こうがそういうものなのではないか?」などといった指摘があった。
 今回様々な問題点が指摘されたが、若松氏はその多くについて充分に自覚的であり、その上でさらに「自伝」へのこだわりを捨てていない。真実を追究すると いう目的においては、「自伝」は他の歴史資料と違って、かなり厄介な素材である。「矛盾」が全く見られない自伝など、恐らくは存在しない。しかし、それが 「自伝」である以上は、読者はとりあえずそこに書かれていることが「真実」あるいは「本心」であるという前提で読むことを求められる。
 現在台湾でも、日々様々な「自伝」や「回顧録」が出版されている。研究者によっては、それらの中から都合の良い部分だけを引用し、そこに不可避的に表れ ている「矛盾」については無視するか、あるいは「矛盾」そのものを都合よく解釈することによって、作者の擁護や攻撃に用いているものもある。これは「自 伝」を他の歴史資料と同列に扱いながら、一方でその恣意性の幅を最大限に利用しようとする立場である。若松氏の研究は、このようなものとは違って、先ず 「矛盾」そのものを受け入れ、そのどちらがより「真実」、「本心」に近かったのかを問うものである。単に書いてあることを引いて来て、自説を組み立てるよ うな「歴史」ではない。(山田朗一記)

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