最終更新:2014年4月26日


日本台湾学会台北定例研究会
第61-64回

第64回
日時 2013年8月24日(土) 15:00開始
場所 国立台北教育大学行政大楼A605室
(台北市大安区和平東路二段134號)
報告者 川上 桃子 氏(アジア経済研究所在台北調査員、中央研究院社会学研究所訪問学人)
テーマ 「台湾マスメディアにおける中国の影響力の浸透メカニズム」
コメンテーター 鵜飼 啓 氏(予定)(朝日新聞台北支局長)
使用言語 日本語
参加体験記
 2013年8月24日、国立台北教育大学行政大楼A605室で第64回台北例会が行われた。報告者は川上桃子氏(アジア経済研究所)、コメンテーターは鵜飼啓氏(朝日新聞台北支局長)で、13名の参加があった。
 報告のタイトルは「台湾マスメディアにおける中国の影響力の浸透メカニズム」。台湾マスメディアにおける中国の影響力の浸透メカニズムを中国政府と台湾資本の利益交換関係の緊密化、そしてマスメディアの商品生産システムという二つの角度から分析を試みたものである。以下、報告の概要をまとめる。
 最近、台湾の研究者の間で「中国ファクター(因素)」について耳にする機会が増えている。「中国ファクター」とは、中国が政治的、経済的に世界の表舞台へと躍り出ていく過程で台湾の民主社会に及ぼす様々な影響、特にマイナス面での影響を意味する。このような中国の負の影響力は最近になって始まったものではなく、1996年、李登輝氏が台湾初の有権者による直接選挙で総統に選出された時期に中国政府が台湾海峡でミサイル演習を実施したが、これが武力的な威嚇を通じて台湾の民主主義的な選択に影響力を及ぼそうとした最初の事件だった。この事件を一つの始まりとして、「中国ファクター」は今日にいたるまでその影響力を増してきたのである。特に2008年以降、「中国ファクター」は台湾の政治社会学者、呉介民氏の言葉を借りれば「政治的、経済的利益を共有する中国と台湾のアクターの間にアライアンスが形成されることが台湾の民主主義に対して及ぼす負の政治作用」として台湾社会の様々な局面でより一層そのプレゼンスを高めてきたという。
 台湾国内では長期にわたって、政党等を中心にマスメディアの影響力の争奪戦が展開されてきた。川上氏の指摘によれば、中国というアクターが登場してきたことによってこの争奪戦が国境をこえて「両岸化/国際化」しはじめている。そこで、川上氏は以下のような問題意識から台湾マスメディアに対する「中国ファクター」の影響力について分析を試みている。すなわち、「誰が、どのような利益構造のもとで、どのような経路を通じて、台湾社会におけるマスメディアの影響力を獲得し、利用しようとしているのか?」という問いかけである。台湾マスメディア産業における中国の影響力の強まりは、中国で事業を展開する企業家、旺旺グループに代表されるような大企業グループによるマスメディアの買収(2008年)と、その報道や言論内容への直接的あるいは間接的な介入から少なからず国民の反感を買うこととなった。これらの中国でビジネスを展開する企業家は買収したマスメディアを通じて対中配慮を強め、チベット・ウィグル問題、法輪功、台独といった中国政府が好まない報道を忌避するようになった。こうした台湾マスメディアに対する「中国ファクター」の影響は、台湾のテレビ局によるコンテンツの対中輸出、中国(国台辦)と台湾メディア企業幹部の直接的な「コミュニケーション」の日常化や中国各級政府による報道内容の買い付け、報道を装った宣伝(プレイスメント・マーケティング)といったルートを通じて強まっている。
 川上氏の分析によれば、1980年代末から1990年代の終わりの時期まで台湾の企業家にとって中国は輸出の拠点であり、昆山市や東莞市等の地方政府が利益交換の相手だった。台湾企業が現地で納税することによって地方政府の業績が向上するといった単純な利益交換関係に過ぎなかったのである。しかし、2000年代以降の中国経済の隆盛で、中国の国内市場が拡大し、台湾の一部の企業家が中央政府から地方政府に便宜を図ってもらい、中国の省をこえたビジネスを円滑に展開しようと画策するようになっていると推測される。こうして従来の「地方政府―輸出向け中小企業」間のパトロン・クライアント関係に加えて「中央政府―中国市場志向型の大型の台湾資本」間の政・商アライアンスが出現するようになったという。このように中国政府と台湾企業家との関係性が大きく変化したことから「エージェントとしての台商」が登場し、旺旺の蔡衍明氏等に代表されるようなエージェントがリーディングメディアとしての新聞社を買収したことで中国政府から重視されるようになったのである。特に台湾マスメディアにおいて、オーナーの影響力は強く、編集長や総主筆と頻繁に面会しその意志を現場に貫徹させる役割を果たしている。すなわち、台湾マスメディアは社会の公器というよりは市場メカニズムにさらされる私企業としての性格が強く、川上氏が結論づけるように、台湾内部の国家意識をめぐる対立、中国の台湾に対する政治的野心、中国国内市場の拡大、中国経済の国家資本主義的な性格といった台湾特有のコンテキストがマスメディアという社会的・公共的性格を有するべき領域への中国の影響力の浸透を引き起こしている。
 以上の報告内容に対して、鵜飼氏は以下のようなコメントを行った。報道内容の買い付けに関して、中国時報等の新聞社傘下の広告代理店が中国政府の要人訪問を請け負い、報道をどのタイミングでどの程度の規模で行うかなどをセッティングしている。台湾の企業家がマスメディアを買収する主な動機としては、政治的影響力や自らのステータスを上げることであり、メディアを保有することによって中国のトップクラスの要人とコネクションを構築できる等があげられる。さらにメディアがオーナーに支配されるという状況は米国でもよく見られるが、日本や米国等に比較して台湾ではメディアのオーナー支配の体質が際立っており、新聞は社会の公器であるという意識が欠如している。記者の社会的地位も低く、記者に対する新聞社の待遇も悪い。オーナーの鶴の一声で記者の首が飛ぶことも珍しくない。鵜飼氏から川上氏に提出された疑問点としては、中国政府はどのような報道を台湾に望んでいるのか、旺旺グループのあからさまな親中スタンスは読者離れにつながっており、中国政府としても逆に困っているのではないか?また、「中国ファクター」を抑制するために、台湾としては何をするべきなのか?台湾メディアの在り方をどのように変えていかなければいけないのか。
 以上を受けての参加者からの質疑応答では、中国の人権無視といった状況に対して台湾側は司法権で歯止めをかけることができない、また、台湾ではメディアの公正性よりもメディアがある政党の代弁者であるという意識が強く、今後「中国ファクター」が影響力を強化していくなかで、台湾側の修正能力に期待できるのか等の様々な論点が提示された。川上氏からの回答として、「中国ファクター」を抑制するためメディアへの出資に対して規制を行うにしても、規制を迂回したり、ダミー化する方法があるため徹底することは難しいこと、「中国ファクター」の行き過ぎを修正しようとする力については、台湾の市民社会の力、すなわち、反メディア独占運動にみられるような若者たちのネットを通じた動員、街にでて声をあげるといった行動が修正力として期待できるのではないかということが示された。
今回の報告は、中国で事業を展開する台湾の企業家と中国の内需市場をコントロールする中国政府との緊密な関係が「中国ファクター」という形で台湾の報道や言論の自由にマイナスの影響を与えている実態を明らかにした。川上氏が指摘するように、今後は台湾の若者世代を中心とする市民社会の抗議活動や行動力が「中国ファクター」の行き過ぎた浸透や影響に対する歯止めとしてより重要な役割を果たしていくだろうと考えられる。(田畠真弓記)
第63回
日時 2012年11月17日(土) 15:00開始
場所 国立台湾大学台湾文学研究所
報告者 藤井 康子 氏(国立清華大学外国語文学系/天主教輔仁大学日本語文学系)
テーマ 「1920年代台湾における市制運動の展開―台南州嘉義街における日・台人の動向に着目して」
使用言語 日本語
参加体験記  
 2012年11月17日、国立台湾大学台湾文学研究所で第63回台北定例研究会が開催された。報告者に藤井康子氏(国立清華大学外国語文学系/天主教輔仁大学日本語文学系)を迎え、「1920年代台湾における市制運動の展開―台南州嘉義街における日・台人の動向に着目して―」と題する報告がおこなわれた。朝から雨が降りしきる天候の悪い中ということもあったが、集まった8名の参加者によって活発な議論がおこなわれた。なお、今回はコメンテーターを指定せずに、発表終了後から自由に討論する形となった。
 藤井康子氏はこれまで、1920年代の台湾を研究対象とし、地域における中等・高等教育機関の設立や改廃をめぐる地域社会の動向について研究を進めてきた。2011年には京都大学大学院教育学研究科に「1920年代台湾における中等・高等教育と地域社会」と題した博士論文を提出し、学位を取得している。今回の発表は、これまでの研究と同じく1920年における地域社会の動向として、特に台南州嘉義街における市制運動を取り上げ、地域社会における人々の要求のありようと台湾総督府の政策とのあいだの相互作用を検討することを目的とするものであった。
 発表は、問題意識にはじまり、「第1章 1920年代における地方制度の概観と市制施行の意義」、「第2章 市制運動の担い手と運動の経過」、「第3章 市制実施をめぐる街民間の対立」、「第4章 市制施行の実現」、と続き、検討のまとめがなされるという形で進められた。
 今回検討された「市制運動」とは、1920年の地方制度改正によって設置された州庁制(台湾を5州2庁に区分し、州に市や街庄を置く)における街の人々による市制施行の動きを指している。藤井氏の発表によれば、今回、1920年代の台南州嘉義街における市制運動をとりあげるのは、日本内地とは施行されている地方制度のありかたが異なっている台湾の地方統治システムの状況のなかで、これまでの研究は地域社会が台湾総督府の進める地方制度形成に求める要求とはどのようなものであったのかということが十分に研究されてこなかったからだという。また、氏はこれまで中学校移転運動や置州運動(「1920年代台湾における地方有力者の一形態」、『日本台湾学会報』第9号)ついて検討することを通じて、こうした課題について考察を進めてきたが、これらの運動は1920年代前半に取り組まれた運動であり、20年代後半に取り組まれた市制運動とは担い手や、彼らが想定していた利害には変化があったと考えられる。そのため、今回の発表を通じてこれらの点を検討し、植民地下台湾における地域住民の政治的動向がいかなるものであったのかを、よりトータルに明らかにすることを目指したということであった。
 以下、本論では『台南新報』など、現在使い得る史料を詳細に分析・検討することで、当時の地方制度の状況や市制運動の展開と市制施行への経緯、そこに見られる地域の人々における対立関係についての考察が進められた。とりわけ、市制運動の推進にあたっては、地域の商工業者間の利害対立が顕在化し、市制施行に対して時期尚早を唱えるグループ(尚早派)と、一刻も早い市制施行を求めるグループ(促進派)との意見対立のなかで、「市制を施行する」ということに対するイメージと、それに伴って導き出される利益の相違が絡まり合いながら運動が進められていたことが明らかにされた。そのうえで、実際に1930年に市制が施行されると、どのグループにとっても思ったような「効果」が果たされず、1930年代以降の地域住民たちの「政治参加」のありようへとつながっていくという見通しも示された。
 発表後の参加者による議論では、嘉義街の人々が市制施行を目指すことになった要因をめぐる疑問や、尚早派・促進派それぞれの人々のバックボーンに関する指摘・質問が提出された。台湾の地域社会の動向を研究するうえで、史料が限られているという現実的な問題があるなかで、いかにして社会のありようや人々の思惑、運動の経緯や政策との相互関係について明らかにしていくのか、という点をめぐる議論が展開された。史料上の問題も含め、解決すべき課題はまだまだ多く残されてはいるが、地域社会の政治的動向という重要な課題をめぐって議論を進めていくための課題と方向性を明らかにしたという点で意義のある発表であり、参加者にも多くの刺激を与える発表であった。今後の研究の進展が期待される。(山本和行記)
第62回
日時 2012年9月8日(土) 15:00開始
場所 国立台北教育大学行政大楼A605室
(台北市大安区和平東路二段134號)
報告者 下岡 友加 氏(県立広島大学人間文化学部)
テーマ 「黄霊芝の日本語文芸並びにその周辺」
コメンテーター 張 文薫 氏(国立台湾大学台湾文学研究所)
使用言語 日本語
参加体験記
 2012年9月8日、国立台北教育大学において、第62回台北定例研究会が開催された。今回の報告者は県立廣島大学の下岡友加氏(現在、師範大学の訪問学人で台湾に滞在中)で、「黄霊芝の日本語文芸並びにその周辺」と題する報告が行われた。それに対して、台湾戦前期日本語文学を専門とする台湾大学の張文薫氏をコメンテーターに迎えた。12名の参加者を得て、非常に活発な議論が行われた。
 今回の下岡氏の報告では、戦後の台湾で日本語による創作を行ってきた黄霊芝の日本語文芸活動の状況及び彼の文学理念について主に述べられたが、「日本語人」世代が台湾で文芸サークルを成立させた事情にも言及し、時代の影響関係から黄霊芝文学の全貌を捉えようとした。
 発表内容は「はじめに 黄霊芝とは誰か」「一 黄霊芝の文芸活動」「二 台湾の日本語文芸サークル」「三 まとめ―再び黄霊芝へ」に分けて順番に進められ、参考資料として、①小説「蟹」の1962年第五回群像新人文学賞予選通過資料、②1970年台湾文芸に掲載された中国語訳「蟹」第一回呉濁流文学賞受賞資料、③1971年岡山日報掲載「蟹」紹介記事資料、④1978年10月『笠』掲載「俳句詩」(中、日、フランス語を創作言語として使用)資料、⑤⑥1981年5月『えとのす』掲載評論資料、⑦「黄霊芝の主な文芸活動表」(下岡製作)⑧「『黄霊芝作品集』内容一覧表」(下岡製作)、⑧「台北に於ける主な日本語文芸グループ表」(下岡製作)が提示された。黄霊芝の日本語創作とは植民地台湾の歴史から捉えれば、苦渋に満ちた言語選択であるとともに、自らが最も得意とする言語を駆使すべきという黄の芸術至上主義理念を浮上させるものである。この点について、張文薫氏は黄霊芝の日本語精神史をより深く探究すべく、黄が戦後も日本語で創作し続けてきた特殊性を、同世代の文学者鍾肇政、巫永福などと比較し、黄の文学意識、上層階級意識、創作上の戦略などを明らかにすることが必要だとコメントした。また、会場からは黄霊芝の文学受容、並びに母語(台湾語)と創作言語(日本語)の使用状態についての質問、またそもそも言語を「選択する」というのはどのような意味を持つ行為なのかを問う必要があるといった意見も提出された。
 下岡氏は近年持続的に黄霊芝の小説分析を行い、すでに一定の成果を公にしている。今度の報告は黄霊芝の日本語文学活動と台湾の日本語グループの両方から論じたため、「個」と「全体」の問題がやや錯綜していた感があるが、またそれが会場の活発な議論の端緒ともなった。報告は台湾日本語文学研究の基盤につながる貴重なものと考えられ、今後とも黄霊芝文学をより一層緻密に探究することが期待される。(阮文雅記)
第61回
日時 2012年6月16日(土) 15:00開始
場所 国立台北教育大学行政大楼A605室
(台北市大安区和平東路二段134號)
報告者 李 ハイ蓉 氏(文藻外語学院日本語文系)
※ハイは「佩」の人偏を女偏に替える。
テーマ 「近代国家の形成と植民地支配における郵便事業―郵政事業民営化の問題をめぐって」
コメンテーター 蔡 龍保 氏(国立台北大学歴史学系)
使用言語 日本語
参加体験記
 2012年6月16日に、台北教育大学で第61回日本台湾学会台北例会が開催された。報告者は文藻外語学院日本語文系の李姵蓉氏、コメンテーターは台北大学歴史学系の蔡龍保氏、参加者は13名だった。
 「近代国家の形成と植民地支配における郵便事業―郵政事業民営化の問題をめぐって」と題された李氏の報告は、官による郵便事業の独占が日本における近代国民国家の形成にどのような役割をはたし、また日本統治下の台湾や朝鮮でどのように展開していったのかということにくわえて、世界的な潮流になっているという今日の郵便事業の民営化をも俎上にあげ、両者を歴史社会学的な視点からかさねあわせようというスケールの大きなものであった。報告の概要は以下のとおりである。
 明治期日本が郵便制度を官による独占とし郵便主権を確立したのは、それが国家・国民の統合のためにきわめて有益であるという判断があったからである。具体的には、郵便事業からえられる収入の確保、国家威信の表象化(たとえば切手や消印)、全国すみずみまでの国家機能の行使、国際社会からの承認といったことがらに対する志向があげられる。
 本国で郵便制度が確立をみた後、台湾そして朝鮮が日本の植民地統治のもとにおかれることになる。台湾では、すでに日本統治にさきだち、1888年に劉銘傳によって新式の郵便制度が実施されていたが、これは中国における近代郵政の端緒とされる大清郵政誕生の8年前のことである。ただ、台湾全体をカバーする本格的な郵便制度は台湾総督府によって導入された。草創期には野戦郵便局が設置され、ほどなく通常の郵便業務へと移行し各地に展開していくことになるが、当初は郵便に対する需要におうじて郵便制度が導入されたわけではかならずしもない。
 一方朝鮮では、19世紀末以降、日本が朝鮮で勢力・権益を拡大させていく過程で、郵便主権の侵害が進行していった。朝鮮が近代国家制度を整備する過程で郵便制度がすでに導入されていたのであり、この点で台湾の場合とはことなる。しかし、いずれの植民地においても、効果的で効率的な支配体制の確立に郵便制度という「文明」が大きく寄与したことはまちがいない。「治安」管理や国民統合といった面での役割が強く期待され、国家権力による検閲もできるようになった。
 こうした歴史的経緯をふまえると、今日の郵便事業のプライバタイゼーション(民営化)の国際的な潮流は、国家が郵便事業を独占しようとした時代、郵便主権の確保にやっきとなった時代とは逆方向を向いているように見える。しかし、当時の帝国主義的拡張と現在の自由化には類似する構造的な暴力性をみいだすことができる。というのも、郵便事業のプライバタイゼーションは、国家と資本の癒着関係のもとで、グローバル企業による郵便主権の簒奪、市場の獲得を可能にしてしまうからである。
 以上の報告に対して蔡氏から、国家による有効な統治の証明である郵便事業の植民地台湾における展開を歴史社会学の視点から分析した独創的な研究であり、従来からの歴史学研究にとっても参考になるところが多い、今後は帝国日本全体を射程に入れた研究を期待しているとの評価があった。一方で、帝国主義下の郵便制度の確立と今日のプライバタイゼーションを対照して分析することの是非、清朝末期の「近代化」に対する評価、利用史料、導入された本国の制度の各植民地での「変形」、グローバリゼーションとプライバタイゼーションの関連などについて問題提起があった。
 その後の質疑応答では、19世紀の帝国主義下での郵便主権と今日のグローバリズムのもとでのプライバタイゼーションを対照分析することに対して、やはりいくつかの質問が出た。李氏からは、植民地なき植民地主義が展開する今日の国家のありかたがかつてとはことなることはたしかであり、この変化について考えが深まっていない部分はあるが、いずれの時代においても国家がはたしている役割は重要であり、これを軸にすえた分析は有効であるとの回答があった。これ以外には、郵便事業が「国民」個人の認識レベルにあたえた影響、郵便の重要性の低下に対する理解、絵はがきや切手による植民地表象の分析、などについて質問や意見が出た。
蔡氏のコメントでも言及があったのだが、植民地統治とともに本格的に導入される近代制度で、今日民営化が 実施されたり話題になったりするものとして容易に思いつくのが、鉄道や電話といった国営(あるいは準国営)事業である。いずれも台湾総督府の統治体制をささえた事業であり、その後、日本においては1980年代に民営化されたが、これらも郵便事業と同様の考察が可能なのだろうか。また、郵便局が郵便とともにとりあつかった貯金や保険の業務についてはどのように論じられるのか。さまざまな方面で好奇心をそそられる、楽しくかつ有意義な報告であった。(冨田哲記)

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