最終更新:2022年3月13日


日本台湾学会台北定例研究会
第85-88回

第88回
日時 2022年1月15日(土) 15時~
場所 国立台湾大学台湾文学研究所
報告者 藤井久美子氏(宮崎大学多言語多文化教育研究センター、東呉大学日本語文学系博士課程)
テーマ 「台湾社会の多言語化と双語国家政策に関する一考察」
コメンテータ 冨田哲(淡江大学日本語文学系)
使用言語 日本語
参加人数 8名(うちオンライン参加2名)
活動報告  「台湾社会の多言語化」とはもちろん、もともとの単一言語社会が多言語化したということではなく、台湾は多言語社会であるという認識が国内で一般的になったということである。この過程では、まず「国語」に付与されていた絶対的な地位に変化が生じはじめ、さらに1990年代後期から2000年代にかけて、言語的多元性を肯定する方向で言語法制定をめざす動きがあらわれた。そして紆余曲折を経つつも、2019年1月には国家言語発展法が施行され、「台湾固有の各エスニックグループが使用する自然言語と台湾手話」が「国家言語」と規定されるにいたった。
 台湾手話をふくむ各エスニックグループ言語の法制化の一方で見すごせないのが、2030年までに「双語国家」(バイリンガル国家)をめざすとする2018年に発表された英語推進のための計画である。しかし、国家言語発展法が目的とする「国家言語の伝承、復興、及び発展」の促進と英語の推進のための政策のあいだでは、利害の衝突が生じかねない。また、新住民の言語が移民の言語であるとされ「国家言語」とは位置づけられなかったことも注目すべき点である。
 以上の報告に対してコメントや質疑応答では、国家言語発展法をめぐる審議の詳細、「台湾固有の各エスニックグループ」が包摂するものと排除するもの、新住民の言語が今後「国家言語」となる可能性などが話題になった。また、バイリンガル国家政策の具体性、エスニシティに立脚した「国家言語」規定の意義と限界、政府の文書が英語などに翻訳される際の「国語」「国家言語」の訳語、近年よく見られる「台湾華語」という呼称、台湾の言語政策の参照項としてしばしば言及されるシンガポールとの比較などについて、活発に議論がかわされた。
 藤井氏は、多言語社会としての台湾の独自性が主張されると同時に、国際的存在感のアピールのため英語の推進に力が入れられることを、今日の台湾の言語政策の特色として提示した。しかし、話者数、現実社会での価値づけ、経済的有用性にかかわりなく言語は一律に平等であるとする「国家言語」の理念と、バイリンガル国家政策をささえる経済、政治面での根拠の相性はよくない。質疑応答では、大学上層からの英語での授業についての一面的な指示をいかに教学内容の向上に転化していこうとしているかという実践の紹介もあったが、このような矛盾は今後より顕在化し、各種の論争を喚起することになるだろう。現在進行形の台湾の事例が、より普遍的な言語政策研究の文脈にどのように位置づけられるのか、藤井氏の研究の深化に期待するところ大である。
 なお今回、はじめてハイブリッドで定例研究会を開催した。機器の使用などで便宜をはかっていただいた台湾大学台湾文学研究所の張文薫所長に感謝申しあげる。(冨田哲 記)
第87回
日時 2021年10月23日(土) 15時~
場所 国立台湾大学台湾文学研究所
報告者 黄馨儀氏(静宜大学日本語文学系)
テーマ 「日治時期台灣之通譯:試論東方孝義」
コメンテータ 冨田哲(淡江大学日本語文学系)
使用言語 北京語
参加人数 5名
活動報告  黄氏はかねてより日本統治期の通訳者の研究を続けてきたが、今回は警察や法院で通訳にたずさわった東方孝義についての報告だった。東方は1913年から1946年まで台湾に滞在した人物で、日本人警察官などへの台湾語の教育や、『台日新辞書』など台湾語の辞典の編纂にもあたった。『語苑』や『台湾警察協会雑誌』などといった雑誌に台湾語学習や風俗にかんする記事を多数投稿し、1942年には『台湾習俗』という著作も刊行している。
 一方で、東方は『語苑』の関係者がかかわっていた警察官の台湾語教材の内容や検定試験の方法などをきびしく批判し、黄氏が言うところの「語苑派」からはげしい反論をまねくことになった。また、『語苑』各号に掲載される編集委員、あるいは『語苑』の発行元である台湾語通信研究会の役員名簿からも、東方が関係者のなかで置かれていた微妙な位置が見てとれるという。
 以上の報告に対してコメンテーターおよび他の参加者から、東方という人物をとりたてて論じることの意味、またその東方と「語苑派」のあいだの対立からいかなる構造的問題を見いだしうるのか、といった質問が出た。東方と『語苑』関係者との関係についても、『語苑』以外の史料ももちいて多角的に立証する必要があるとの指摘があった。すでに制度化をみていた「台湾語業界」で、あえて周囲に対抗する主張をすることで、みずからの存在を大きくしようとしていた可能性はないか、東方を支持する人々もいたのではないかといった意見もあった。
 黄氏も紹介していたが、中島利郎氏は2000年の論文で、総督府からすれば台湾人の民族意識を助長しかねない『台湾習俗』という書籍が1942年に、それも東方が在職していた高等法院検察局通訳室を出版元として出ていることの奇妙さを指摘している。これもさらなる探求が待たれる点である。
 日本統治期に台湾語や台湾社会に関心を持ち、研究に没頭した日本人は少なくない。しかし、かれらの研究成果が植民地統治の産物であったことが批判的に検討されないままに、その意義が論じられることが往々にしてある(ある歴史学者の言を借りれば、植民地下の「文化人枠」に入れられる)。総督府の警察官吏だった東方という人物は、植民地統治体制を背景とした知の形成を考えるうえできわめて重要な人物である。黄氏のこれからの研究の進展を心待ちにしている。(冨田哲 記)
第86回
日時 2021年9月17日(金) 15時開始
場所 国立台北教育大学A605
報告者 三代川夏子氏(東京大学博士課程、国立政治大学訪問学者)
テーマ 「冷戦期自民党議員外交と日台間チャネル」
コメンテータ 徐浤馨氏(淡江大学日本政経研究所)
使用言語 日本語
参加人数 8名
活動報告  三代川氏の報告は、1972年の断交をまたぐ冷戦期の日台間の外交関係において、おもに自民党議員がになった非公式チャネルに注目したものだった。国交がある時期には公式の外交ルートが存在していたにもかかわらず、台湾側は日本との関係が深い張群が中心となって自民党のいわゆる親台湾派議員などへのはたらきかけを積極的におこない、また断交後も交流協会と亜東関係協会が設立されたものの、日台双方で交渉アクターが安定しなかった。それゆえ、冷戦期には一貫して議員外交が活発だったという。
 70年代には自民党内の派閥抗争がはげしくなるが、三代川氏は各派閥あるいは日華関係議員懇談会や青嵐会といった議員集団の動向や、それらに対する台湾側の見方なども詳細に分析した。外交問題にかんして派閥が議員の行動に介入する余地はそれほど大きなものだったとは言えず、個々の判断によって議員外交が展開していた側面も大きかったようである。80年代には親台派と親中派の融合も見てとれるという。
 徐氏からは、三代川氏の視角や資料収集に対して高い評価が与えられるとともに、各期の台湾側政府を論述の際にどのように称するか、最近国史館で公開された関連資料の利用、いわゆる以徳報怨論に対する佐藤栄作の思い、断交前の非公式チャネルの意味などについてアドバイスや質問があった。また、他の参加者からは、問題意識の明確化、光華寮訴訟の推移との関連、台湾・中国双方とのパイプ役として動こうとする政治家の存在、交流協会―亜東関係協会ルートの意義、米国の外交政策の影響、派閥の存在論的意味の位置づけなどについて発言があった。
 三代川氏やある参加者も指摘していたが、第二次大戦後の日本外交において、日華断交はもともとあった国交が断絶したきわめてまれなケースである。くわえて、「二つの中国」や「日華・台」の二重性 (断交前も、親台派が「反共」一辺倒の「日華」で固まっていたわけではない)といった敏感な問題への対応もつねに要求されていた。そこで政権党の議員は何を考えどのように行動していたのだろうか。そこから何を得ようとしていたのだろうか。
 三代川氏によると、今回の訪問期間が始まってまもなくCovid-19の警戒レベルが引き上げられ、非常にきびしい状況での滞在になってしまっているとのことであるが、近い将来、研究が結実して世に問われる日をいまから心待ちにしている。(冨田哲 記)
第85回
日時 2021年4月24日(土) 15:00開始
場所 国立台湾大学台湾文学研究所
報告者 陳培豊氏(中央研究院台湾史研究所)
テーマ 「台湾語演歌の物語―異なる節回しの国語、台語流行歌」
コメンテータ 張文薫氏(国立台湾大学台湾文学研究所)
使用言語 日本語(資料は北京語)

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