最終更新:2011年2月1日


日本台湾学会定例研究会
歴史・経済・政治部会
第33-36回

第36回
日時 2005年8月26日(金) 13:30開始
場所 明治大学駿河台校舎研究棟第3会議室
報告者1 洪 財隆 氏(台湾経済研究院副研究員/アジア経済研究所客員研究員)
テーマ 「台海両岸的経済整合與政治分立」
使用言語 中国語
要旨 一、両岸(経貿)関係可藉助於整合理論之處甚多
二、両岸之間的経済整合已経無法或難以逆転
三、経済整合必然通往政治整合之路ma?互補或替代?
・文献探討:不対称依頼/貿易與安全
・両岸之間的特殊性
四、台湾的挑戦:
・内部:企業利益與政府意向的乖離(diverge)
・外部:東亜区域主義

第35回
日時 2005年7月9日(土) 17:30開始
場所 東京大学 駒場18号館4階コラボレーションルーム4
報告者 浅野 豊美 氏(中京大学)
テーマ 「現代日中関係の争点としての台湾の日本統治時代認識」
要旨  近年、日中の間では、「歴史認識問題」が大きな焦点となっているが、何が認識に値する「歴史」で、何が認識には値しない過去なのであろうか。台湾での民主化と共に進行した近年の台湾史研究の興隆によって、それまでとは異なる価値としての、台湾人の主体性とそれに立脚した制度的民主主義の建設という視角から、日本統治時代の台湾本省人の生活変容に焦点をあてる傾向が強まった。
 台湾人が日本人との接触を通じて、抑圧されながらも民主主義を担うに足る主体としての意識を目覚めさせていったとの言説は、大陸の住民が日本軍の略奪・暴行にさらされながらも、それに抵抗し勝利し最終的には祖国の統一を成し遂げたという大陸の日本経験と極めて対照的である。中華民族による抗日運動という観点に基づき台湾住民が担った運動や民乱を重視する歴史から、台湾人の主体性を生み出した家族・性・インフラ・都市・族群としてのエスニックグループ関係や植民地法制等々、平時の生活を重視する歴史へと、「歴史」として選択されるテーマ自体が地滑り的な変化をとげ、深い断層がそこに生じたということができる。
 しかし、歴史認識の次元におけるこの断層は、現代の「台湾問題」という国際政治状況と、台湾島内の族群を単位に展開する政治力学と結びつき、あるいは、その生々しい政治言説にイデオロギーとして組み込まれながら、激しい論争の中で進行し、現在もそれは止んではいない。ナショナリズム史観が台湾島内で「準体制史観」と化したのちにも、中国や日本内部の諸勢力を巻き込みながら、台湾問題の言説に組み込まれそれは国際化しているということができよう。
 本報告では、台湾で生じた新しい台湾史認識がいかなる特徴を持ち、それが、現実の台湾内外の政治の中でのどのような勢力のどのような思惑と結びつきながら、展開しているのかについての構造を整理し、その上で、靖国の問題を焦点とする日中の歴史認識問題という政治な文脈の中で、何を台湾史として認識すべきなのかという問題が、どのような位置を占めているのかという構造を、歴史的テーマ選択の際に依拠される価値ごとに抽出し、「過去」の選択と「歴史」化にからむ諸価値(中華民族・台湾人、民族・民主)の対立・競合・併存状況を、現代の台湾問題の構図と絡めながら整理してみたい。

第34回
日時 2005年5月7日(木) 13:30開始
場所 日本大学経済学部 7号館13階第3会議室
報告者1 森田 健嗣 氏(東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士後期課程)
テーマ 「戦後台湾における国語運動―特に1950年代に注目して―」
要旨 1.問題意識・先行研究
2.「イデオロギー化された中国化」を目指す国語教育
2.1国民党政府の台湾への撤退
2.2国民党の改造と来台者の台湾語学習
2.3国語補習教育に関する法・社会整備
2.3(1)文化改造運動
2.3(2)社会教育法
2.3(3)蒋介石「民生主義育楽両篇補述」
3.「イデオロギー化された中国化」の国語教育の展開
3.1平地における国語教育
3.1(1)民衆への国語補習教育
3.1(2)カリキュラム
3.1(3)「常識科」
3.1(4) 事例(省立台南社会教育館の場合)
3.2軍への国語教育
3.3簡体字運動-国語補習教育の観点から-
3.4山地における国語教育
3.4(1)1950年代の原住民政策-山地平地化運動-
3.4(2)山地の国語運動
報告者2 楊 子震 氏(筑波大学大学院博士課程人文社会科学研究科国際政治経済学専攻)
テーマ 「戦後初期台湾における日本人の引揚及び留用」
要旨  本報告ではまず国民政府による台湾接収の過程を整理し、その作業を通して台湾軍を含む台湾総督府側の対応及びその台湾接収に果たした役割について検討する。また、日本陸海軍の軍人・軍属の復員・引揚と留用されなかった一般人の引揚送還に焦点を絞って、台湾における日本人の引揚の経過を明らかにする。
 次に、台湾における日本人の留用政策の確立過程とその内容について考察する。その際には留用政策の実態と問題について、留用された日本人の実務内容を検証するほか、回想録や体験記を史料として使用し、それらの内容の検討を通して、彼らが現場で直面した問題や苦悩を明らかにする。最後に、日本人留用政策が解消された理由について検討する。
 本報告では、分析・考察を進めるにあたって、日本及び台湾の公文書を含め、関連官公庁の公刊資料を主に用い、当事者の回顧録や体験記も併用しながら、歴史的再構成を試みた。
項目:
一.導入
二.国民政府の台湾接収
三.在台日本人の引揚
四.在台日本人の留用
五.結び
報告者3 福田 円 氏(慶應義塾大学政策・メディア研究科博士課程)
テーマ 「中国の台湾政策 1954年~1958年―金門・馬祖の「解放」をめぐる合意形成―」
要旨  1958年8月23日、中国人民解放軍は突然金門島を砲撃し、「第二次台湾海峡危機」が勃発した。10月6日に一週間の砲撃停止が宣言されるまで、解放軍はおよそ40から50万発の砲弾を金門島へ打ち込んだ。しかし、金門・馬祖の「解放」に必要な上陸作戦は行なわず、結局これらの島嶼を「解放」しなかった。本論文は、中国の指導者が「金門・馬祖を解放しない」という合意に到達する形成過程を検証することを通じて、毛沢東時代における「一つの中国」政策がどういった要因によって策定されていたのかを明らかにするものである。
項目:
 序章.問題の所在
 第1章.朝鮮戦争停戦後の台湾政策 (1954年~56年)
 第2章.金門・馬祖の「解放」をめぐる議論 (1955年~57年)
 第3章.金門作戦の決定過程 (1957年~58年)
 第4章.金門・馬祖の「解放」をめぐる合意形成 (1958年8月~10月)
 終章.結論―「金門・馬祖を解放しない」決定と「一つの中国」政策

第33回
日時 2005年4月5日(火) 18:30開始
場所 上智大学 2号館10階2-1015a会議室
報告者 山田 賢一 氏(NHK)
テーマ 「メディアの"行き過ぎ"を監視―台湾のメディアNGOの取り組み」
要旨  台湾のメディア界がいま、揺れている。民主化で言論の自由が広がる一方、「国民党の宣伝機関」として教育を受けてきた記者たちの意識改革は進んでいないため、イデオロギー先行による報道が往々にして誤報を生んでいる。大手紙の中国時報は2002年12月に「陳水扁総統へのヤミ献金」という“特ダネ”を一面トップで書いたが、総統府が全面否定すると翌日の一面でお詫びを出した。またテレビ局は2004年3月の総統選挙の際の速報番組で、速さを競うあまり、9局が候補の総得票数を上回る“中間票”を報じた。こうした「イデオロギー偏重」と「過当競争」という台湾メディアの二大問題を何とか改善していこうと、最近学者やジャーナリスト出身者による「メディア監視NGO」が相次いで結成され、関係者の注目を集めている。こうしたNGOには、個々の報道を詳細に分析して問題点を具体的に指摘し、各メディアに改善を求める「告発型」と、商業主義の弊害を理由に公共放送の充実を求めたり、子供に良い番組の推薦を行ったりする「提言型」に大別され、定期的にメディアの問題を考える座談会を開くなどしている。しかしまだ規模が小さく資金に限りがあるほか、各メディアがあまり批判に耳を傾けないという問題も存在する。台湾のメディアの現状と、日本ではあまり見られない「メディア監視NGO」の活動を紹介する。

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