最終更新:2011年2月1日


第1回日本台湾学会賞
選考委員会報告書

2001年1月16日
(一) 選考委員会の開催

 日本台湾学会賞選考委員会は下記の要領で開催された。

 日時:2000年12月28日(木) 15:15ー16:25

 場所:東大文学部藤井省三研究室

 出席者:涂照彦(委員長)、藤井省三(副委員長)、笠原政治(委員)、駒込武(委員)


(二) 選考経過

1.  まず涂照彦委員長から選考に当たっての挨拶があり、のちに藤井副委員長から事務局担当として、日本台湾学会賞の趣旨と規定について口頭説明があり、その後、各委員による質疑応答がおこなわれた。

2.  事前に各委員が推奨した諸論文を選考対象とし、当該論文について、推奨した各委員から、それぞれ専門の立場から報告と評価がおこなわれ、また、それらを巡って意見交換・質疑応答が続けられた。

3.  以上の作業を踏まえて、推奨された諸論文に対して順位づけを含めた論議が行われ、それを収斂して候補論文は三点に絞られた。

4.  その結果、
(1) 何義麟「『国語』の転換をめぐる台湾人エスニシティの政治化」(歴史社会分野)
(2) 陳文玲「エスニック・バウンダリーから『民族集団』を考える」(同分野)
(3) 張季琳「楊逵と入田春彦」(文化文学言語分野)
の三点が選ばれ、理事会に対して第1回学会賞候補として推薦することが合意された。また、報告書、推薦理由の作成分担を定めた。

5.  なお「日本台湾学会賞規定」には「3 授賞論文は原則として歴史社会・政治経済・文化文学言語の三分野から各々一篇ずつ選考する。」と定められているが、今回は政治経済分野では論文本数が少なく、特に優れたものが見当たらなかったこと、複数の委員が何義麟・陳文玲両名の若手論文を推奨していたこと、などの諸点に鑑み、政治経済分野は該当作なしとし、歴史社会分野から特に二篇を推奨することにした。

受賞理由

(1) 何義麟「『国語』の転換をめぐる台湾人エスニシティの政治化」

 ここ数年、2・28事件に関する研究が急速に積み重ねられつつある。その中で改めて浮かび上がってきている一つの課題は、日本による植民地統治から2・28事件にいたるプロセスを統一的な視野から把握することである。何義麟「『国語』の転換をめぐる台湾人エスニシティの政治化」は、「台湾人のエスニシティの問題は、1895年から現在まで百年以上の歴史の中で考えてこそ、初めて理解しうる性格のものなのである」という言葉に見られるように長期的な展望を組み込みながら、1945年8月から47年2月にかけての時期に日本語から中国語へという「国語」の転換がどのような政治的葛藤を引き起こしたのかという問題をリアルに描きだしている。台湾人のエスニシティを境界主義的なアプローチで理解しようとする理論的スタンスと、新聞などの綿密な資料調査に裏付けられた実証の部分も無理なく接合されている。課題意識の明確さという点でも、論文としての完成度という点でも、日本台湾学会の学会賞にふさわしい論文と判断される。

(2) 陳文玲「エスニック・バウンダリーから『民族集団』を考える」

 F.バルトのエスニック・バウンダリー論に基づき、現地調査の資料と文献資料を使いながら、台湾原住民・サイシャット(賽夏族)という民族集団の生成過程に光を当てた斬新な論文である。第2次大戦後、pasu-taai(俗に言う「こびと祭」)の記録以外にあまり本格的な研究がなかったサイシャットを、人類学研究者の立場で正面から取り上げた、という意義も大きい。氏族組織の編成など、当事者の「内側」から構成されるバウンダリーを考察した後半部に、なお資料面で不十分さが認められることは否めないが、漢語・日本語の文献記録を清国時代まで遡って丹念に辿り、外来統治者、漢族移住民、(複数の)先住民グループという諸集団の間で揺れ動く境界線を簡潔な分析モデルにまとめた箇所(50頁)などは、とくに優れた研究上の到達点であろう。全体として手堅い内容であり、独創性のある論文と評価することができる。

(3) 張季琳「楊逵と入田春彦」

 台湾では1930年代に入ると日本語読書市場が形成され始め、台湾人による日本語文学も本格化した。日本語作家の作品は続々と内地の総合誌、文芸誌の誌面を飾って高い評価を受け、台湾島内でも文芸誌が盛んに刊行された。楊逵(ヤン・クイ、ようき、1905~85)はそのような作家群の中でも最初期に頭角を現し、日本プロレタリア文学と連携しながら台湾文壇のリーダーとして活躍した。本論文は各種文献を渉猟するいっぽう、楊逵およびその文学形成に大きな影響を与えた日本人の遺族・関係者に膨大なインタビュー、アンケート調査を行って、楊逵文学の形成過程解明を試みたものである。1937年に肺結核罹患と極度の困窮の中、20円の借金のために米屋から裁判所に訴えられた楊逵に月給二か月分相当の100円を与えて彼の危機を救った総督府警察官の入田春彦が実は政治的転向者であり、翌年入田の自殺後に無二の親友たる楊逵に残された蔵書の中の改造社版『大魯迅全集』全7巻が楊逵を魯迅文学受容へと導いたという指摘には、深い感慨を禁じ得ない。

以上
涂照彦
(日本台湾学会賞選考委員会委員長)

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