最終更新:2011年2月1日

第3回日本台湾学会賞
選考委員会報告書


 

第3回日本台湾学会賞選考委員会
委員長 塚本照和
2005年3月5日


(一) 選考委員会の開催

第3回日本台湾学会賞選考委員会は下記の要領で開催された。

日時:2004年12月29日(水) 午後2:00-5:00
場所:東京大学教養学部8号館405号室
出席者:若林正丈(副委員長・担当常任理事/政治経済分野)、沼崎一郎(委員/歴史社会分野)、春山明哲(委員/歴史社会分野)、松永正義(委員/文化文学言語分野)。

なお、塚本照和(委員長/文化文学言語分野)委員は、都合により欠席したが、会議は委員長の授権のもとで副委員長の若林が司会した。

(二) 選考経過と結果

1. まず若林副委員長から事務局担当として、日本台湾学会賞の趣旨と規定について口頭説明があり、また前回の日本台湾学会賞の選考についてのあらましの経過説明がおこなわれた。その後、各委員が質疑応答をおこなった。
2. ついで各委員が選考対象論文について講評しつつ各分野について授賞候補作を推奨し、それらをめぐって意見交換・質疑応答を行った。
3. 以上の作業をふまえて、推奨された諸論文に対して順位づけを含めた論議をおこない、それを整理して、候補論文は三点に絞られた。
4. その結果、

☆ 前田直樹
「『反共』から『自由中国』へ――末期アイゼンハワー政権の台湾政策の変化――」第6号(政治経済分野)
☆菅野敦志
「中華文化復興運動と『方言』問題(1966-76年)――マスメディアの『方言番組制限』に至る過程を中心として――」第5号(歴史社会分野)
☆上村ゆう美
「銀鈴会の投稿活動」第6号(文化文学言語分野)

の三点が選ばれ、理事会に対して第3回学会賞候補として推薦することが合意された。また、報告書、推薦理由の作成分担を定めた。

(三) 受賞理由
(1) 政治経済分野

 1950年代の米台関係研究では、二度にわたる台湾海峡危機そのものに様々な角度から焦点をあてる研究が支配的であったが、授賞論文は二度の危機を受けた米国の台湾政策とそれが作り出した状況が今日に続く台湾海峡の「現状」の出発点となったという観点から、国務省を中心としたアイゼンハワー政権末期の台湾政策決定過程を分析している。主として公表された米外交文書を分析するというオーソドックスな手法を用いた手堅い外交史の論文であり、従来比較的看過されてきた台湾の経済政策転換の外交的背景を米の側から明らかにすることによって、台湾が如何に60年代東アジアの冷戦的対峙の構図の中で、産業化離陸に成功した権威主義体制国家として立ち現れることになるのかという文脈の一端を示すことに成功しているといえる。同時に、このことによって雷震事件に始まる 1960年代台湾政治史への一つの切り口を明示しており、この点も本論文をさらに本学会賞受賞作品にふさわしいものにしていると判断される。(若林正丈)

(2) 歴史社会分野
 1980年代以降、政治の民主化の進展と相伴うように、文化面においては「多元文化」を台湾社会の表象概念として使用する傾向が拡大し、さらには近年ではなどの「方言」を含む各エスニック・グループの言語的価値を尊重する「多言語社会」の形成さえもが台湾社会の基調として看取されるまでになっている。しかし、戦後台湾における言語文化と政治の相克過程については必ずしも多くの研究がなされてきたわけではない。菅野敦志氏によるこの論文は、1966年に蒋介石によって開始された「中華文化復興運動」が促進した文化的一元化運動が、「国語政策」の推進とりわけテレビ番組における「国語」の優位性の確立に与えた影響を、国民党や立法院の資料を丹念に読み込んで実証的に分析し、明快に構成した労作である。中国文化大革命が台湾の言語文化に与えた深い「余波」、ラジオからテレビへの大衆メディア社会への移行、都市と農村における「国語を解さない台籍同胞」の不均衡な分布などが、「加強推行国語弁法」から「広播電視法」へという法制化過程の背後に仄見えるのも興味深い。なによりも、蔡培火が孤立無援の状況下で「方言」は「中華文化復興の補助言語」であるという論理でその主張を粘り強く展開する姿に、日本植民地時代の抵抗する台湾知識人の思想的背骨を感じるのは評者だけであろうか。(春山明哲)

(3) 文化文学言語部門
 これまで日本の台湾文学研究は日本時代、とりわけ皇民化時代の日本語文学に重点が置かれてきた。日本での台湾文学研究という条件下では当然と言えることかもしれないが、台湾文学全体の広がりから言えば、問題と言えよう。また戦後直後の時期は、台湾においてもイデオロギー的な問題が大きく、客観的な叙述が困難な時期と言える。こうした条件下で、戦後直後の文学状況について、銀鈴会という特色あるグループにつき、具体的な活動状況を明らかにするかたちで、ひとつの研究の視角を開いたこの上村ゆう美氏の論文の意味は大きいと思われる。この時期の研究は資料の発掘や研究蓄積の点で十分とは言えない状況にあるが、上村氏は現在見うるかぎりの資料を丹念に精査したうえで、銀鈴会の活動を具体的に叙述することに成功しており、その結果戦後のこの時期における楊逵の位置についてもより具体的な把握を可能にした。この点がこの論文の功績だと考えられる。
 現在台湾での台湾文学研究は、特に若手研究者の間では研究対象の選択や研究方法の上で驚くほどに多様化している。日本でもこの上村氏の論文の受賞が、研究対象の多様化へのひとつの契機となりうることを望みたい。(松永正義)

 なお、選考過程での選考委員の討論の中で、台湾研究を行うにあたっては台湾の事象のみに注意を集中するのみでは十分でないこと、台湾研究とは関連する諸領域の事象との関連を常に追求せざるを得ない「領域際的」研究分野であることに改めて確認すべきである、との指摘が一委員からなされ、全委員がこれに賛意を表したことを付記しておきたい。それは、例えば、植民地期の研究においては、近代日本史という隣接領域の研究蓄積をも渉猟し、当該時期の日本の有り様についての正確な理解、つまりは「昔の日本はこうだった」との確かな知識に裏付けられた同時代的歴史感覚ともいうべき感受性を涵養する必要がある、といったことである。