日本台湾学会台北定例研究会


 

第39回

 

日時 2006年9月23日(土) 15:00開始
場所 国立台北教育大学(旧・国立台北師範学院) 行政大楼506室(社会科教育系討論室)
(台北市大安区和平東路2段134号)
報告者 植野 弘子 氏(東洋大学社会学部)
テーマ 「日本統治期台湾における生活の『日本化』とその後―台南『高女』女性のライフヒストリーを通じて―」
使用言語 日本語(質疑応答は北京語および日本語)
参加費 無料
要旨 日本統治時代に行われた「日本化」が台湾人の日常生活に与えた影響と、それが統治終了後の台湾の人々にとっていかなる意味をもったかは、未だ十分な検討が加えられていない課題である。報告者は、台南の高等女学校出身者に対してライフヒストリーの聞き取りを行い、この問題を探ってきた。これらのエリート女性たちの営む生活、またその志向性は、そのまま台湾全体の実態として普遍化することはできないが、新しい時代の家庭生活や女性の生き方としてのモデルを提供するものであったのではないかと考えうる。今回の報告では、フィールドワークの資料に基づいて、特に日本語による知識を中心に、この課題に関して述べてゆきたい。



参加体験記
 2006年9月23日午後3時より台北教育大学において第39回台北定例研究会が行われた。報告者は東洋大学社会学部の植野弘子氏であり、コメンテーターは特に置かれず、参加者は16名であった。
 報告は、「日本統治期台湾における生活の「日本化」とその後-台南「高女」女性のライフヒストリーを通じて-」という題目で行われ、五十嵐真子・三尾裕子編『戦後台湾における〈日本〉-殖民地経験の連続・変貌・利用』(風響社)に掲載された植野氏の論文「殖民地台湾における高等女学校生の「日本」-生活文化の変容に関する試論」の補足報告を行うという趣旨のもと発表がなされた。報告・質疑応答は、全て日本語で行われた。 口頭発表では、まず報告の目的が説明された。日本統治時代に行われた「日本化」が台湾人の日常生活に与えた影響と、それが統治終了後の台湾の人々にとっていかなる意味をもったかは、未だ十分な検討が加えられていない課題とされている。そこで台南の高等女学校(高女)出身者に対して行ったライフヒストリーの聞き取り調査による資料を分析することにより、特に日本語による「日本」的なものに対する知識の浸透と定着を中心に据えて考察するのが、報告の趣旨であるとされた。
 次に、日本統治期の民俗に関する研究、日本統治終了後台湾における「日本」に関する人類学的な研究などの先行研究に関する言及がなされた。その中で植野氏が指摘した問題点は、台湾人の中にある「日本」の受容と定着について状況の変化や細かな生活そのものについて言及しているものが少ないということ、またそれにあたり「日本」を過大評価して分析・記述すること自体が持つ危険性、などであった。
 また、日本教育世代の女性と家庭生活についての基礎事項の確認がなされた。高等女学校に在籍した台湾女性が極めて特殊ないわばエリート階級の子女であったこと、女子教育自体に階層身分シンボルとしての作用があったこと、高等女学教育の場で身体表現や感覚において「日本」的なものを植え付けようとしたこと、などである。
 最後に、各聞き取り調査の事例に即した報告の上で、現状の確認と今後の課題についての言及がなされた。現時点での結論としては、高女の卒業生はエリートであり一般民衆とは違う目で見られていたが統治終了後もその存在は一目置くべき存在として人々の目に映ってきたこと、「日本」的なものは統治終了後も無縁なものになったとは言い切れず生活モデルとしての意味は持っていた、という二点が挙げられた。今後の課題としては、地域において高女卒業生たちがいかなる存在だったのかをより具体的に分析する必要があること、戦後においても彼女たちが積極的に日本語を活用することの意義とその具体的方法、生活文化の変化と次世代への継承はどうなっていたのか、そして「日本-台湾」だけで見るのではなく「中華」の視角も導入すべきではないのか、といった内容があった。

 以上が植野氏の報告の骨子であり、この報告をめぐって活発な質疑応答が行われた。主な質問を挙げると、○「良き日本人」の見本となるような女性の教育が行われていたというが、台湾人側のその受容・葛藤はどうだったのか、○台湾人が「日本」的なものを受容していった際に文明的な側面と文化的な側面があったと考えられるが、そういったことは議論するうえでどのように念頭に置かれているのか、○インタビュー調査をする上での世代間での日本イメージの違いがあるのではないか、○「『中華の要素』があまり意識されていなかったように感じる」と報告者が発表したが、それはインタビュアーが日本人だからなのではないか、さらにもしインタビュアーが日本人だから話すということがあるとすればそれはどう位置づけられるのか、等の点であった。
 これらの質問に対する植野氏からの回答は、おおよそ以下のようなものであった。○当時「日本」は文明のステイタスとして確立していた、○「日本」的なものの中にある文明の側面と文化の側面は不可分のものであり、受容する側の台湾人にとっても認識がまちまちであった。だが、文明的な要素がなかったのならば日本の文化は受容しなかっただろう、○調査にあたりあまり多様な世代をサンプルに挙げることができなかったので難しい側面がある。世代的に「日本」的なものが浸透している世代にしか当たれなかったため、もう少し古い世代に聞き取りを行うことが出来ればまた結果も変わったかもしれない、○インタビュアーが日本人であるということは研究の前提としてなければならないことであり、これは人類学全体が共有する難しさでもある。


 報告はフィールドワークの手法に基づいた戦後台湾社会史に関する意欲的な議論であったが、目的と論旨が明快であり筆者のような素人もおおいに知的好奇心を刺激されるものであった。質疑応答も活発に行われ、戦前・戦後を通じての台湾における「日本」の受容に対する理解がおおいに深められた。筆者個人の感想としては、かつては戦後台湾が置かれた特殊な状況下で台湾におけるフィールドワークに大きな制約があり、現在に至っては戦前を知る世代がますます鬼籍に入っていっている状況があるという時間的な困難、そして、かつて植民者であった日本人が被植民者であった台湾人にかつての帝国言語である日本語でインタビュー調査をしなければならないという、人類学自体が持つ構造的な問題に通じる困難、この2つの困難を抱えながらも、その意義を信じて研究を貫く植野氏の態度に深い感銘を覚えた。(高橋一聡記)