日本台湾学会台北定例研究会
第21回
日時 | 2004年1月10日(土) 18:00-20:00 |
場所 | 国立台湾大学 哲学系201号室 |
報告者 | 若松 大祐 氏(国立政治大学歴史学系研究部碩士班) 若松大祐氏の論文(中国語)【PDF,中国語,414KB】 若松大祐氏の論文(日本語)【PDF,日本語,306KB】 |
テーマ | 「愛國者、或是失敗者?――1950年代後半期台灣, 張學良的對自己歴史叙述」 |
使用言語 | 北京語 |
参加費 | 無料 |
参加体験記
第21回台北定例会は2004年1月10日、台湾大学哲学系201教室で開催された。報告者は若松大祐氏(国立政治大学歴史学系研究部碩士班)、テーマは 「1950年代後半期台湾、張学良による自己叙述」、コメンテーターは薛化元(国立政治大学歴史学系主任)、佐藤将之(台湾大学哲学系教授)の両氏で午後 6時から行われた。今回は、発表内容が提出直前の修士論文であることから、報告者、コメンテーター共に、その最終確認といった意識が強かったように感じら れる。
報告ははじめに、若松氏が自身の修士論文『向正史挑戰-1950年代後半張學良的自叙-』の要旨を日本語で読み上げた。それによると、若松氏は張学良が 1950年後半期に執筆した四種類(四篇)の自伝の分析を通して、そこに二人の話者(正当話者=「愛国者」としての話者⁄正統話者=「失敗者」として「教 訓」を述べ得る話者)が存在し、ともに「自己の過去の有用性」を主張するという構造を見出す。そして、四種類(四篇)を同時代の正史(=正統)との関係に おいて、それぞれ「正統性への応用」、「正統性への配慮」、「正統性の援用と検証」、「援用の強化」と定義する。さらにそれらの分析を通じて、張は「正当 の正統化」という方法を以って自己の過去の有用性を主張したという結論が導き出される。
次に若松氏は、修士論文の第4章にあたる「形勢惡化-正統的套用與驗證-」の部分を北京語で発表した。これは上記日本語報告中「正統性の援用と検証」に あたる個所で、張の三番目の自伝「恭読『蘇俄在中国』書後記」の分析が示された。ここでは、先ず張が自身の過去を失敗と見做し、そこから正史(ここでは蒋介石の著書『中国の中のソ連』)と同じロジックに支えられた教訓を導き出す過程が説明される。また以前の二編では「抗日」をもって示されていた愛国者像が 「統一」に移っていることが指摘され、正当話者が正統話者の脈絡に併呑されていく姿が示される。そして、この自伝が「正史を援用しての是非の検証」である と定義された。
以上の報告に対して、薛氏、佐藤氏の順でコメントが加えられた。両氏は当日の参加者には配布されなかった論文の全文を通読しておられた。薛氏は基本的に は若松氏の着眼点を評価しながらも、「文中の語句や概念が、中国語の文脈においては決して分かりやすいものでない」、「このような方法は「歴史研究」の論 文としては、一般的ではないので、充分な説明が必要である」といった、具体的な注意事項を挙げられた。佐藤氏からは、「本来、『正史』とは現政権(王朝) が前政権の歴史を書くことで、厳密に言えば蒋介石の著書は『正史』とは言えない」、「張学良は自己の過去の有用性を主張するために自伝を執筆したという が、『自伝』とはどこの誰が書こうがそういうものなのではないか?」などといった指摘があった。
今回様々な問題点が指摘されたが、若松氏はその多くについて充分に自覚的であり、その上でさらに「自伝」へのこだわりを捨てていない。真実を追究すると いう目的においては、「自伝」は他の歴史資料と違って、かなり厄介な素材である。「矛盾」が全く見られない自伝など、恐らくは存在しない。しかし、それが 「自伝」である以上は、読者はとりあえずそこに書かれていることが「真実」あるいは「本心」であるという前提で読むことを求められる。
現在台湾でも、日々様々な「自伝」や「回顧録」が出版されている。研究者によっては、それらの中から都合の良い部分だけを引用し、そこに不可避的に表れ ている「矛盾」については無視するか、あるいは「矛盾」そのものを都合よく解釈することによって、作者の擁護や攻撃に用いているものもある。これは「自 伝」を他の歴史資料と同列に扱いながら、一方でその恣意性の幅を最大限に利用しようとする立場である。若松氏の研究は、このようなものとは違って、先ず 「矛盾」そのものを受け入れ、そのどちらがより「真実」、「本心」に近かったのかを問うものである。単に書いてあることを引いて来て、自説を組み立てるよ うな「歴史」ではない。(山田朗一記)