日本台湾学会台北定例研究会


 

第31回

 

日時 2005年8月6日(土) 15:30開始
場所 国立台北師範学院 行政大楼506室(社会科教育系討論室)
報告者 塚本 善也 氏(中国文化大学日本語文学系)
コメンテーター 藤井 健志 氏(東京学芸大学、中央研究院民族学研究所訪問学人)
テーマ 「台湾と日本ハリストス正教会」
使用言語 日本語



参加体験記
 8月6日に国立台北教育大学にて第31回台北定例研究会がおこなわれた(台北師範学院は8月1日の年度がわりをもって台北教育大学に改称)。塚本善也氏 (中国文化大学)が「台湾と日本ハリストス正教会」と題して報告をおこない、藤井健志氏(東京学芸大学、中央研究院民族学研究所訪問学人)がコメンテー ターをつとめた。夏休み中ということもあってか、参加者は11名といつもより少なめだったが、その分、密度の濃い議論ができたように思う。
 日本統治開始後まもなく、日本キリスト教会や日本聖公会が台湾での伝道活動を始めたが、ハリストス正教会は遅れをとった。塚本氏が主要史料として利用し た『正教時報』(ハリストス正教会機関誌)には、1901年に最初の台湾関連の記事が掲載されており、このときすでに台湾在住の信者がいて台湾に常住する 司祭の派遣を求める請願が出ていたこと、東京のニコライ堂本会(教団本部)内は伝道推進派と慎重派に分かれていたことが読みとれるという。もっともこの後 すぐに常住の司祭が派遣されることはなく、初めて常住の司祭が派遣されたのは1911年のことだった。しかし、ほどなくその人物は台湾を離れ、以後は長崎 在住の司祭高井萬亀雄による巡回が2回おこなわれた後、1915年から1930年までは司祭真木恒太郎が嘉義に常駐、死後は再び高井による巡回がおこなわ れた。一方で、台北には早くから伝教師の松平慶宏を中心とした教区活動が定着しており、真木があえて嘉義を伝道の拠点とした理由には、この松平の存在も あったのではないかということである。
 もっとも、日本統治期の台湾でハリストス正教会が勢力を大きく拡大できたわけではなく、2回目の高井の巡回を前にした頃の『正教時報』には、ハリストス 正教会が在住信徒の氏名と住所を把握できていなかったことをうかがわせる記述もあるという。信者数に関するいくつかの記録のうち、総督府の報告には 1925年の信者数が143人と記されているというが、これは1055人の日本キリスト教会や545人の日本聖公会とくらべても決して多い数ではない(た だ台湾人の信者がごくわずかということではハリストス正教会も両者も同様)。その後の状況を見ても、ハリストス正教会の台湾での布教が成功したとはとても 言えないが、塚本氏は台湾伝道の中心となる人物がおらず組織的にも脆弱だったことや、ニコライ堂本会からの金銭援助に頼ることができなかったことなどをそ の理由としてあげた。後者に関しては、ちょうど常住司祭の派遣が議論されていた時期に勃発した日露戦争や日本国内でのロシアに対する悪感情の影響で、ハリ ストス正教会自体がそもそも苦しい状況に置かれ続けていたことも指摘された。
 塚本氏の報告に対し藤井氏は、日本の宗教の海外布教、あるいはより一般的に宗教の海外布教という観点からながめた場合、ハリストス正教会の台湾での活動 はどのように位置づけられるのかと問題提起をおこなった。出自地域の文化が刻印されている宗教が海外へ出て行く際にはその宗教の特徴が逆に顕在化しやすく なるが、この点でハリストス正教会の台湾での伝道は、一つの宗教が「ロシア→日本→台湾」と二重に移動した結果であり非常に興味深いという見方、またキリ スト教はその普遍的価値をよりどころとしながら布教がおこなわれる場合が多いが、キリスト教も含む戦前の日本の宗教がまとっていた国家主義的な装いとのず れをどのように解釈すればいいのかという疑問が藤井氏から提示された(塚本氏によれば、『正教時報』には、「「新領土」の台湾で伝道活動をおこなわないの は恥ずべきことである」といった論調も頻繁に見られるという)。また宗教団体の自己規定の仕方と「現地」社会との関係によって布教の具体的方法も左右され るが(たとえば、「病気治し」の成功は宗教の普及に大きく貢献する)、台湾でのハリストス正教会の信者や伝道者のネットワーク構築の様相にも注意を向けて いく必要があるという指摘もあった。
 質疑応答ではさまざまな議論がかわされた。手元のメモからいくつか拾い上げれば、たとえば信者の社会階層の構成、宗教団体の性格がそれぞれの国民国家に 規定される度合い、朝鮮でのハリストス正教会やロシア正教会の活動、司祭が「内地」からやってきて台湾の各地を巡回することの意味、ハリストス正教会が台 湾での布教にあたって「売り」にしていたものは何か、などであった。
 これまでハリストス正教会の活動については、台湾史研究においてもほとんど取り上げられることはなかったと思う。ロシア文学が専門の塚本氏ならではのお 話をうかがうことができ楽しかったし、宗教社会学の藤井氏にハリストス正教会ひいてはキリスト教を含む他の日本の宗教団体の台湾での伝道の考察のために、 宗教の海外布教、移民と宗教といった視点が有効であるということを提示していただき非常に有益であった。
 日本の宗教団体の台湾で活動は、日本統治期にとどまらず今日にいたっても引き続き行われている。今回の例会で、この分野での今後の研究の進展に大きな期待を感じることができた。(冨田哲記)