日本台湾学会台北定例研究会


 

第60回

 

日時 2012年3月3日(土) 15:00開始
場所 国立台北教育大学行政大楼A605室
(台北市大安区和平東路二段134號)
報告者 松田 京子 氏(南山大学人文学部准教授/台湾大学歴史学系訪問学人)
テーマ 「『原始芸術』言説と時間認識―台湾原住民の『固有文化』をめぐる言説の展開」
コメンテーター 張 隆志 氏(中央研究院台湾史研究所副所長)
使用言語 日本語

参加体験記
 2012年3月3日、国立台北教育大学において、記念すべき第60回台北定例研究会が開催された。今回の報告者は南山大学人文学部日本文化学科の松田京子氏(現在は台湾大学歴史学系の訪問学人で台湾に滞在中)で、「『原始芸術』言説と時間認識ー台湾原住民の『固有文化』をめぐる言説の展開」と題した報告を行った。それに対して、平埔族群史の研究でも有名な中央研究院台湾史研究所の張隆志氏をコメンテーターに迎え、16名の参加者のあいだで活発な議論が行われた。
 今回の松田氏の報告では、植民地下の台湾において台湾原住民の生活の中に発見された「原始芸術」が、日本「内地」の「芸術」あるいは「美術」をめぐる言説状況とどのような影響関係をもったのか、ということが中心に述べられた。
 発表内容は三つの柱に分けられた。まず、「Ⅰ.植民地台湾における原住民の『固有文化』への関心」という部分では、統治者である日本が台湾原住民の日常生活の中の芸術を「発見」し、それを「このままでは消滅してしまう」という危機感のもと、積極的に蒐集していたことが史料とともに示された。
 次に、「Ⅱ. 植民地台湾における『原始芸術』という言説の展開」では、原住民の彫刻や、舞踏、音楽などが「非常に幼稚だが、素朴で一種脱俗した美を有する」とされ、いわゆる「原始芸術」として紹介された現象を取りあげた。ここで興味深かったのは、「蕃地」の「内地化」政策が浸透していったという背景があったことである。つまり、原住民の「原始芸術」を守ろうと声高にいいながら、実際にはその芸術の基盤となるべき原住民の生活はどんどん「内地化」(あるいは近代化)していったという矛盾があった。そして、原始芸術の重要性を語ると同時に「原住民がいかに『原始文化』の状態に留まっているか」を主張し、従って彼らの生活の中の変化が常に軽微なものとして語られる、という状況を引き起こしていたこと、その不合理な時間認識についての論説も非常に興味深かった。
 最後に「Ⅲ. 宗主国日本における『原始芸術』という言語空間」では、植民地である台湾に対し、宗主国の日本内部ではどのように「原始芸術」論が展開されていたか、ということが述べられた。当時の特徴として、さまざまな分野で「日本人とは誰か」という議論が避けられないテーマであった、という背景がある。そのため、1930年代から出版された『日本文化史大系』冒頭に「日本民族論」がおかれ、「石器や土器を作ったのは日本人か」ということから議論されていた。その日本文化の源流、あるいは日本人という民族の構成をめぐる議論の中で、「原始的一様性」の学説をかかげ、「日本原始時代の工芸手法」と「台湾原住民の手法」が類似している、という主張が出されたことが取り上げられた。ここで、なぜ原始時代と現存する文物の比較が可能なのか、という問題に関して、松田氏は「思考されることのない『自明』なものとして、台湾原住民の『歴史性』は否定され、時間的距離は不問に付された」と解釈している。
 以上の報告に対し、張隆志氏からは松田氏の『帝国の視線:博覧会と異文化表象』の観点を踏まえ、以下の問題についてのコメントと質問がなされた。一つは日本側の台湾原住民に対する調査蒐集と展示という行動について、ふたつめは近代日本の自己認識と「他者」の認識について、最後に日本帝国史・植民地史研究における「日本語」、あるいは文化の翻訳という問題について、である。
 参加者からは、当時の「蕃地観光」という現象と原住民の「原始芸術」間のつながりについていくつか質問が出たほか、「1930年代」というキーワードがいささか広すぎるのではないか、という疑問点も出された。
私見では、今回の報告は前述の『帝国の視線』のほか、松田氏が近年執筆された関連論文数本の研究に跨がった総括的な内容だったように思えた。そのため、かなり広いテーマ(芸術、美学、観光、表象、日本史、日本文化論)に亘った発表内容であるが、松田氏がそれぞれの分野で論文を書いておられることもあり、分かりやすくまとめられ、非常に興味深い報告だった。特に、筆者は人類学の専門であり、例えば日本美術史のような分野にはあまり縁がないのであるが、松田氏が当時の政治的・イデオロギー的な背景の説明とともに批判的にとりあげた美術と政治のリンクという現象は自分の研究内容にも引き付けて考えさせられ、感銘を受けた。近年の日本植民地研究はアジアの地域史という枠組みにおいて語られることが多くなりつつあるが、本報告も台湾の表象の歴史につながる貴重なものであったと思う。(満田弥生記)