最終更新:2011年2月1日

第2回日本台湾学会賞
選考委員会報告書


 

2003年2月28日


(一) 選考委員会の開催

日本台湾学会賞選考委員会は下記の要領で開催された。

 日時:2002-12-28(土) 1:00-2:30
 場所:ホテル・フォーレスト本郷
 出席者:土田 滋(委員長)、藤井省三(副委員長)、沼崎一郎(委員)
 なお、栗原純(委員)はあいにく台湾出張と重なったため欠席し、書類による選考を行った。

(二) 選考経過

1.  まず藤井副委員長から事務局担当として、日本台湾学会賞の趣旨と規定について口頭説明があり、また前回の日本台湾学会賞の選考についてのあらましの経過説明がおこなわれた。その後、各委員が質疑応答をおこなった。

2.  事前に各委員が推奨した諸論文を選考対象とし、当該論文について、推奨した各委員から、それぞれ専門の立場から報告と評価がおこなわれ、また、それらをめぐって意見交換・質疑応答が続けられた。

3.  以上の作業をふまえて、推奨された諸論文に対して順位づけを含めた論議をおこない、それを整理して、候補論文は三点に絞られた。

4.  その結果、
(1) 李承機「植民地統治初期における台湾総督府メディア政策の確立」第4号(歴史社会分野)
(2) 張文薫「立身出世を求める青年たち」第4号(文化文学分野)
(3) 林成蔚「社会保障制度の政治過程」第3号(政治経済分野)
の三点が選ばれ、理事会に対して第 2 回学会賞候補として推薦することが合意された。また、報告書、推薦理由の作成分担を定めた。

5. それぞれの分野における受賞理由は、次の通りである。

(1) 歴史社会分野
 「国民国家」の形成において「メディア」の果たした役割の重要性についてはいうまでもない。李論文は、従来、台湾史研究において等閑視されてきた感のある「メディア」という分野の研究の可能性を示したものである。本論文は、総督府の新聞政策をとりあげ、上からのメディア統制、與論の形成について論証するだけでなく、統治初期に民間内地人により台湾で発行された新聞・雑誌に注目し、それらによる総督府の統治に批判的な活動を詳細に論じている。その結果、台湾統治について、総督府対台湾人という図式に限られない、総督府と内地人、あるいは、総督府と内地のメディアという、より複雑な視点を提示することに成功した。内地人発行のメディアについては資料的にも手堅く調査されており、実証的で、論理も明快である。この分野における研究の先駆的成果であり、日本台湾学会の学会賞にふさわしいと評価できる。(栗原純)

(2) 文化文学分野
 日本統治期の台湾人作家張文環(1909~78)は台湾南部農村の小地主家庭に生まれ、1927 年から 11 年間日本に留学、戦時中にはリアリズム派の雑誌『台湾文学』を主宰した。彼は知識人と農民、都市と農村とを描き、その作品の傑出した質量により「台湾のバルザック」と称せられよう。張文薫さんの論文は、張文環の文学を植民地知識人における立身出世と郷土回帰という二つのテーマから論じており、以下の二点において独創的である。①従来の「圧迫―抵抗/迎合」という単純な図式から抜け出し、植民地支配に対する抵抗ための宗主国文化の主体的受容という側面に着目、張文環の青年時代を植民地下の近代化により誕生した学歴エリートとして考察する社会史的視点。②留学体験に基づく小説に登場する東京の下宿制度、下宿大家の主人が長期出張のため不在でその妻がキリスト教信者であり家に娘のピアノがあることなど細部に注目し、この意味を近代的家制度、階級制度、文化史など社会史的視点から分析した点。文化文学言語分野の審査対象論文中、本作に理事推薦が集中していたのもこの点が評価されたためであろう。(藤井省三)

(3) 政治経済部門
 今回政治経済部門では、林成蔚「社会保障制度の政治過程」と松本充豊「台湾の政治的民主化と中国国民党『党営事業』」の2本が候補となったが、林成蔚論文を受賞作とすることに決定した。林成蔚論文は、民主化以降、台湾政治において、福祉政策が隠れた争点として登場し、政党支持や投票行動にも影響を及ぼし始めていることを論じたものである。ややもすると省籍矛盾と統独問題に固執しがちであった台湾政治研究に一石を投じる論文であり、その斬新な視点が高く評価された。ポスト李登輝時代の政治過程の実証的研究としても貴重である。惜しくも受賞を逃したが、松本充豊論文も、その重要性が指摘されながら実証的な研究の欠けていた国民党の党営事業の実態に光を当てる力作として、非常に高い評価を受けたことを付記する。(沼崎一郎)

6.  なお第 1 回に引き続き、第 2 回においても、3 人の受賞者の中にひとりも日本人が含まれないのは問題ではないかとの意見もあったが、これは台湾からの留学生の質の高さを表すものであり、決して意識してそのような選考をおこなったものではないことを、ここに明記しておきたい。
 もう一つ、日本統治期における事象を扱った論文においては、読者はとうぜんながら、台湾と同じような経験をした韓国(および北朝鮮)ではどうだったのか、あるいはどうなったのか、という素朴な疑問を持つ。この点についての調査・比較をおこなった研究は、残念ながらなかった。言語の壁があるから、容易ではないであろうことは理解できる。今後の課題とせざるをえないが、この面が明らかになれば、どの分野においても、大きな発展・展開が期待できるであろうというのが、全委員の意見であった。

以上

土田 滋
(日本台湾学会賞選考委員会委員長)