最終更新:2011年2月1日

第4回日本台湾学会賞
選考委員会報告書


 

(1)選考委員会の開催

第4回日本台湾学会賞選考委員会は、下記のごとく開催された。

日時:2007年5月19日(土)午後2:00-3:20
場所:東京大学駒場18号館9階923号室)
出席者:岡崎郁子(文化文学言語分野)、川島真(政治経済分野)、近藤正己(歴史社会分野)

入退院を繰り返していた凃照彦委員長(政治経済分野)は、2007年3月25日ご逝去された。選考委員会はその支柱を失いながらも、故凃照彦委員長の方針を受け継ぎ、査読対象を分担して委員会開催にこぎつけた。選考委員会では副委員長の近藤が司会をつとめた。なお、駒込武委員(歴史社会分野)は都合により選考委員会に欠席したが、その審査意見は近藤が代読した。

(2)選考経過と結果

 まず、故凃照彦委員長のご冥福をお祈りしたのち、日本台湾学会賞の規定と、第1回以来の学会賞受賞者、過去における選考のあらましなどを次のように確認した。

* 学会賞規定(第一期臨時会員総会可決2000年6月3日)により、今回の審査は『日本台湾学会報』第7、第8号に掲載された論文が対象になること
* 歴史社会・政治経済・文化文学言語の三分野から各々一篇ずつ選ぶことを原則とすること
* 過去の受賞者の扱いに留意すること
* 学会賞の趣旨が「若手の奨励」のためであること

 つづいて、各委員が査読した論文について順位をつけながら講評し、その上位の論文が歴史社会・政治経済・文化文学言語の三分野のうちのどの分野であるか、また推薦理由を説明した。質疑応答を繰り返し、推薦候補について論議した結果、次のようにまとまった。

歴史社会分野:湊照宏「日中戦争期における台湾拓殖会社の金融構造」、
政治経済分野:佐橋亮「ジョンソン政権と台湾海峡両岸-信頼性と自己抑制」、
文化文学言語分野:橋本恭子「島田謹二『華麗島文学志』におけるエグゾティズムの役割」

 3人の委員は、ただちに別室で開催されていた常任理事会の席にかけつけ、審議結果を報告するとともに口頭で推薦理由を述べた。常任理事側からの質疑と審査委員会側の応答を経て、受賞者は推薦通りに決定した。

(3)推薦理由
歴史社会分野

 1997年に「台湾拓殖株式会社档案」が公開されて以来、幾人かの研究者が膨大な量の档案史料にとりくみ、台拓研究に邁進してきた。著者もそうしたうちの一人であり、その成果として発表された本論文は、経済史の分野から台拓の金融面を解明しようとしたもので、国策会社としての台拓が民間資本を導入しながらも、それを国策的事業に投入できたメカニズムや、あるいはその逆に国策的事業でも資本コストの負担に限界が生じれば、その事業が淘汰されざるを得なかったことなどを丁寧に例示している。南進政策のなかで背負った「国策性」の一面と、収益性も無視できない企業としての「営利性」の両面から台拓を解明しようとする手法は、従来には見られない斬新さが見て取れる。本論文は、「台湾拓殖株式会社档案」を利用して台拓を研究するお手本のような作品であるとして、歴史社会分野からの受賞としてふさわしい。(近藤正己)

政治経済分野
 本論文は、中国の核開発、ヴェトナム戦争などに直面していたジョンソン政権期における中国政策を、公開されたアメリカ政府文書などに依拠しながら、「信頼性」および「自己抑制」の視点から考察し、それに関連して1960年代の中華民国の大陸政策、アメリカへの期待との相違点や思惑のずれを描き出した、将来性の有る意欲作である。従来、台湾海峡に関するアメリカ外交をめぐっては、アメリカの介入が自己抑制的であったことには注目されないことが多かったが、本論文ではアメリカの外交政策が中国にも台湾にも自己抑制的であり、また同時に信頼性の維持をともなっていたとする。無論、そうした政策は、非対称的な観点をもつ相手から見れば、その認識や期待を共有するものではなかった。従って、そこにおける信頼性も一方的なもので、また期待に沿わない同盟国の行動を抑制、拘束する面が生じる。アメリカと国府の関係はまさにそうしたものであったと、本論文は結論付ける。この成果は、昨今の台湾をめぐる国際政治史の進展を背景とし、また今後とも参照されていく研究となることであろう。本学会として、国府の外交政策や中華民国の政治外交史的な観点も取り入れつつ、研究を多面的に展開していくことへの期待値もこめて、日本台湾学会賞(政治経済部門)にふさわしい研究論文と判断した。(川島真)

文化文学言語分野
 尾崎秀樹が『旧植民地文学の研究』において、台湾文学史に関する島田謹二の著作に注目しているが、皇民化時代の台湾文学営為における島田の果たした役割についての本格的な論文は、これまであまりなかったと言える。
 橋本恭子氏の論文は、これまで批判的に論じられることの多かった島田の唱えたエクゾティズムの真の意味とは何か、また日本の近代文学が受容した西欧文学のエクゾティズムが台湾在住日本人作家に如何に影響を及ぼし、作品に如何に投影され、それを自身の目指す外地文学確立のために島田は如何に評価していったか、という点を、島田が参考にしたと思われるフランスの事例や丹念に読み込んだ資料に基づいて解明しようとした意欲的な一篇である。「結論」に関しては検討の余地があるように思うが、橋本氏にとって本論文は島田謹二研究の半ばに位置づけるものであろうから、今後の更なる深化を待ちたい。本論文では、時代と政治の制約を受けながら卓越した識者である一文学者が、如何に時代と文学を見据えたかが遺憾なく論じられている。
 定まった評価をしてしまいがちな皇民化時代の文学及び文学者に改めて光をあてることは、日本統治時代を経て現代へ連綿と続く台湾文学の全体像を明らかにする上で非常に意義があると思われる。(岡崎郁子)

第4回選考委員会副委員長
近藤正己
 2007年5月31日