最終更新:2023年6月18日
第1回日本台湾学会学術賞
選考委員会報告書
(1)選考委員会の開催
第1回日本台湾学会学術賞選考委員会は、山口守委員長、佐藤幸人副委員長、近藤正己委員、三尾裕子委員、若林正丈委員から構成された。記録は三澤真美恵会員が務めた。コロナ禍を鑑みて選考委員会は対面式で行わず、情報セキュリティに十分配慮したうえで、全委員オンライン参加の下に選考作業を進めた。
(2)選考経過と結果
本選考委員会は「日本台湾学会学術賞規定」に基づき、2020年4月1日〜2022年3月31日の間に刊行された、会員の日本語による単著書を対象として、2022年2月1日〜同年4月15日の期間、全会員に推薦を依頼し、その結果推薦された書籍について選考を行った。選考委員会は慎重かつ厳正に審議して、第1回日本台湾学会学術賞として以下の著書を選定し、2023年3月3日に開催された第12期第6回常任理事会で報告し、承認された。
☆授賞著書
鈴木賢『台湾同性婚法の誕生――アジアLGBTQ+燈台への歴程――』
(日本評論社、2022年3月25日)
(3)推薦理由
本書は、2019年5月24日に成立した同性婚法にいたるまでの台湾LGBTQ+運動を回想的に論じ、その成果や課題を緻密に考察したものである。その内容を要約すると以下のようにまとめられる。
台湾では性的マイノリティを指す言葉として「同志」が1980年代末に生まれ、「同志文学」が同志のプラットフォームとなり、1986年に同性婚を求める運動が始まる。1990年代後半には雑誌・インターネット・ラジオ番組等を通じて、同志間のコミュニケーションが拡大していく。一方、政治とのインタラクションは1993年に民進党の立法委員が公聴会を開いたことから始まり、2003年に初めてのLGBTQパレードが台北市とジョイントで開催された。21世紀に入ると欧米で同性間の婚姻が法で認定されていく世界的潮流のなかで、同性愛者が法的権利の主体として公共空間に登場してこなかった台湾でも新しい試みが始まる。2000年の国民党から民進党への政権交代により、行政院で2001年に同性婚を認める「人権保障基本法草案」が作成され、2004年には「性的指向」に言及した「性別平等教育」法が制定された。また2007年に改正された就業支援法で性的指向による差別の禁止が規定され、同年に改正された「性別工作平等法」でも職場における「性的指向」による差別を禁止した。さらに同年に改正された「家庭暴力防治法」では同性カップルも対象に含みうることになった。こうした政治の動向は、性にかかわる様々な問題を「性別」という概念にパッケージ化し、ジェンダー平等の延長線上に置いたことで議論が促進された。
同性婚法の制定に向けた過程だが、同性婚の認知を目的として2006年に「同性婚姻法草案」が立法院に提案された。2012年にはさらに同性婚を可能とする民法の改正草案が提案された。翌年には性別要件の性中立化を定めた民法改正草案が提案された。婚姻平権は同志運動の共通の目標となり、以後の同志パレードでも主張されていった。一方で運動に対する反発も増大し組織化され、立法院の内外で婚姻平権を支持する勢力と反対する勢力のぶつかりあいが続くなか、議論は収束せず、2016年の立法委員の任期満了とともに草案は廃案となった。一方自治体レベルではパートナーシップ制度が進められていく。2014年の統一地方選挙後、高雄市、台北市は戸籍に同性パートナーをパートナー登録できるようにし、瞬く間に全台湾に広がっていった。2017年に2年以内の同性婚の法制化を確定した大法官解釈が出されると、パートナーシップ制度は自治体レベルから国レベルに昇格した。ただこの時点で、社会的には同性婚に対する反対数が賛成数を上回っていた。大法官は必ずしも民意に合わせて解釈を行なったわけではなかった。
2016年の台湾の総統選挙で、婚姻権平等への支持を表明していた民進党の蔡英文が当選し、同時に行われた立法委員選挙でも民進党が過半数の議席を獲得した。その立法院で婚姻権平等を求める民法改正草案が提案された。だが草案のうち立法院の司法法制委員会を通過したものもあったが、与野党協議の結論が出ず、本会議での採択は見送られた。立法院での審議と並んで進行した重要な局面は大法官解釈である。2015年司法院大法官に対して、民法が婚姻平権において憲法に違反しているかどうかについて、二度目の憲法解釈申請が行われた。同時に台北市政府からも行政院を経由して司法院に対して憲法解釈の申請が行われた。司法院大法官の憲法解釈は2017年5月に公表され、大法官のうち12名が民法を違憲と判断し、2名がそれに反対した。この解釈によって、2年以内に何らかの立法措置によって違憲状態を解消することが定められた。大法官が何故憲法解釈をあえて行ったかだが、蔡英文政権内部での議論の膠着に対する「助け舟」、台湾の人権保障の立場を示して中国とのコントラストを際立たせる「司法外交」といった側面があった。
同性婚に反対する勢力は大法官解釈後もそれを受け入れず、国民投票によって決定を覆そうとした。推進派と反対派の激しい応酬を経て、2018年11月24日統一地方選挙とともに投開票が行われた。結果は反対派の勝利であり推進派の惨敗であった。この国民投票では民主主義と立憲主義のどちらを優先すべきかが問われた。台湾は同性婚という人権にかかわる問題を、民主主義にしたがって多数決によって決することはせず、立憲主義に立脚して大法官によって保障することを優先した。大法官解釈が優先されたとはいえ、国民投票の結果は蔡英文政権の法制化を制約することになった。民法改正の道は断念し、「同性婚法」の制定を目指すことになった。与野党協議では妥協が成立せず、逐条的に討議され、行政院の草案が修正を加えて採択された。こうして台湾はアジアで初めて同性婚を法認する国となった。ただ同性婚法の条文を見れば、同性間の婚姻が認められたことは間違いないが、異性婚との違いは残され、法の不備が残っている。
現在同性婚は着実に増加し、女性のカップルが多く、また同性婚に対する台湾社会の意識も変化し、同性婚を肯定する見方が過半数を占めるようになった。反対派が懸念した伝統的な家族や倫理の崩壊は生じていない。今後の論点として、同性婚カップルの子育て、高齢の同性愛者、トランスジェンダー等の課題が残っている。なお台湾の同性婚法制化のプロセスに関してだが、その特徴として司法、国民投票、議会立法のすべてを経験したこと、市民社会が重要な役割を果たすとともに反対派の活動も活発だったこと、討議を経ながら言説の枠組みが構築されたことがある。言説の枠組みとしては「同志」と「性別」という柔軟で包摂的な概念と、「婚姻平権」という簡明かつ的確なスローガンが重要であった。台湾でなぜアジア初の同性婚法制化が実現したかだが、その要因として、早期に政治化されたこと、蔡英文政権が支持したこと、中国に反発する台湾のナショナリズムが作用したことが考えられる。
以上のような内容を持つ本書を本選考委員会は次のように評価する。まず台湾同性婚法は長期にわたる紆余曲折を経て誕生したものであるが、その誕生背景には同性婚法にまつわる複雑多岐な事情があった。本書はそれを、同性婚を推進する勢力を縦糸に、同性婚問題に直面した政治、行政、司法、中央、地方、それに同性婚反対勢力、一般民衆などの姿を横糸にし、アラベスクのように織り上げ、現在進行形で進む台湾の現状を描き出すことに成功している。このような成果は、台湾LGBTQ+運動に対する著者の共感に基づく参与的なフィールドワークによる臨場感有る知見に加えて、台湾法、政治研究など複数のアプローチをもつエリアスタディの長所が遺憾なく発揮された結果である。著者が示すLGBTQ+イシューの曲折の展開を通じて、現代台湾社会の動向の一面が生き生きと提示されていることが本書をエリアスタディの良書たらしめている。台湾LGBTQ+運動および運動に直面した政府機関の反応は、日本社会にもさまざまな示唆を与えることが想定され、本書が日本にもたらす意味は小さくはないと考えられる。その意味で、本書は日本における台湾研究が、その基本としての他者研究・理解の提示というあり方のみならず、日本社会が「台湾に学ぶ」ことのゲートウェイたる研究分野の意義を帯びるに至る日も近いことを予感させるものとも言える。
以上
第1回日本台湾学会学術賞選考委員会
委員長・山口 守