日本台湾学会台北定例研究会
第8回
日時 | 2002年5月15日(水) 18:30-20:30 |
場所 | 国立台北師範学院 行政大楼506室(社会科教育系討論室) (台北市大安区和平東路二段134号) |
報告者 | 李 承機 氏(東京大学大学院博士課程) |
テーマ | 「日本植民初期台湾における「輿論」のあり方とその展開 ―民営メディアとその関係者の諸相―」 |
会費 | 無料 |
参加体験記
日本台湾学会の台北定例研究会は今回で第8回目。2002年5月15日に、いつもの国立台北師範学院にて開催され、折からの水不足にも負けない熱心な台湾研究者達があつまった。今回報告されたのは李承機氏。タイトルは「日本植民初期台湾における「輿論」のあり方とその展開―民営メディアとその関係者の諸相-」で、日本の台湾統治初期に日本人の民間人の手によって興された新聞や雑誌について報告された。
戦前の台湾は日本の植民地であり、今までの日本時代の台湾についての研究の中で多かったのは、台湾人と日本人の境界線を巡る研究であった。氏が今回スポットを当てたのは、今まで注目されてこなかった、在台日本人の中の、政府と民間の間の境界線である。
日本統治初期の台湾には議会がなく、当然選挙もなく、台湾総督府は日本本国の政府より、行政のみならず、立法司法に関する権利も与えられ、監督するべき議会は存在しなかった。ゆえに植民地台湾で参政権がなかったのは、台湾人だけでなく日本人の民間人もまた同様だったのである。民間の日本人達は、「内地」ではまがりなりにも自由を享受し、政治に参加できたのにもかかわらず、台湾に来たとたんに参政権を奪われたかっこうとなる。そこで民間の日本人が選んだ方法とはメディアを使って輿論を形成することだった。そうすることで総督府に牽制をかけようとしたのである。
ではメディアはいかに輿論を形成したのか。報告者はここで台湾のメディアは日本「内地」における輿論を刺激することで総督府を牽制する作戦に出たと語る。(少々唐突である。先に台湾内部における輿論形成に限界があったことを述べるべきであると、他の研究者より指摘があった。) 具体的な例として六三法延長問題がとりあげられ、メディアの一つ「台湾民報」が延長反対運動を展開し、内地にも影響を与えたことが指摘された。台湾民報は日本内地においては総督府の御用新聞であった「台湾日日新聞」の6.5倍の発行数を持っていたのだった。また別の雑誌、「高山国」は日本に向けた記事が多かった。このような台湾の新聞は、台湾に投機して一儲けしようと考えていた日本人に特に熱心に読まれた。
これらのメディアは新聞や雑誌を発行するだけでなく、メディアイベントをも主催した。例えば台湾民法は人気投票、講演会や座談会などを行った。台湾民報の理事は台北弁護士会の会員であり、このようなイベントは政治活動の一環であり、佐々木や中村哲など、代表的なメディア人は日本に帰った後も政治家として活動を続けた。
李承機氏は歴史研究の角度からアプローチしており、自身の「台湾メディア史」の初期についての研究であると位置付けている。そのため、質問で多かったのは台湾の歴史研究に関するものである。特に問題となったのは民間の日本人と台湾人の関係である。氏はメディアに関しては1910年前、両者がいかなる関係にあったかは資料不足で不明であると述べた。その後、台湾人の読者も現れ始め、台湾メディアも彼らを意識し、台湾人を取り込む形の意見を多く乗せる。しかし1927年以降、台湾人自身の政治運動が盛んになると、おそらく危機意識を持ったのか、民間の日本人メディアは総督府以上に民族主義的になったと報告者は答えた。
また佐藤幸人氏は日本人の手による民間メディアは、台湾におけるメディア市場を最初に開拓したのであり、後の台湾人自身のメディアの出現につながったのではないかと質問された。報告者も重要な指摘であると受け止め、さらに研究の体系的な位置付けのためのいい観点であると認識されたようだった。
最後に私見を述べさせていただいて、拙文をしめくくらせていただきたい。今回の研究は日本人と台湾人という民族的な違いに目が向けられがちだった過去の研究と一線を画し、台湾における日本人の中の政府と民間という観点を提示した点が非常に画期的だと思う。民族というカテゴライズは異なる国家、異なる文化の間で最もよく使われ、例えば台湾では、私は「日本人」として常に扱われる。しかし実際には日本人も多種多様なのである。氏にはその点をもう一歩つきつめて、民間の日本人のメディアがどれだけ当時の民間の日本人の意見を代表していたのか、総督府やメディア以外に別の立場の日本人がいたのではないか、またメディアにもいろいろな立場の違いがあったのではないか、彼等の間の関係は実際にはどうか、などといった点を突き詰めていただきたいと思う所存である。(石丸雅邦記)