日本台湾学会台北定例研究会


 

第14回

 

日時 2003年1月17日(金) 18:30-20:30
場所 国立台北師範学院 行政大楼506室(社会科教育系討論室)
(台北市大安区和平東路2段134号)
報告者 陳 尚懋 氏(国立政治大学政治学系博士候補人)
陳尚懋助理教授の論文【PDF,中国語,569KB】
コメンテーター

松本 充豊 氏(神戸大学)

テーマ 「台湾金融改革的制度分析–親信資本主義的延続或終結?」
“The Transformation of Crony Capitalism: Mixed Reforms of the Financial Institutions
in Taiwan”
使用言語 中国語
参加費 無料



参加体験記
 2003年1月17日、国立台北師範学院において第14回日本台湾学会台北定例研究会が開催され、陳尚懋氏(国立政治大学政治学系博士候選人)より報告が行われた。今回のテーマは「台湾金融改革的制度分析―親信資本主義的延続或終結?」であった。
 今回の報告では台湾の「親信資本主義」(crony capitalism)が総統選挙以前と以降で、どのような構造的変化が見られたかということが論点となっている。報告者はまず、台湾の金融システムが、銀行システムにおいても、株式市場においても重大な歪みが生じていたことを示し、その原因は民主化の過程で生まれた「親信資本主義」にあると指摘した。報告者が言う台湾での「親信資本主義」とは与党、政治化された官僚、企業を背景に持つ国会議員、保護されたビジネス・クループから構成される。この言葉の意味と使われ方は、後の議論の時間において問題として指摘される。報告者はこれに対して新制度論的な枠組みから分析を行った。まず、主要なアクターである国民党、国民党系ビジネス・グループ、地方派閥、国民党籍の立法委員がどのように金融システムを歪めていたかを示した。同時に、システムを監督すべき中央銀行や証券及び商品取引管理委員会は自律性が欠如し、競争を促すことが期待される外資系銀行や外国人投資家の台湾進出は抑制されていたと指摘した。
 このような国民党を中心とした「親信資本主義」が、2000年の総統選挙後に変化が見られたと、報告者は言う。まず、与党から引きずりおろされた国民党はその勢力を急速に失い、ビジネス・グループや立法委員の干渉は大幅に減少した。一方、国民党のコントロール下にあった多くの銀行がその独立性を回復し、金融機関の監督機関も自律性を回復した。また外資系銀行の台湾進出も進んだ。株式市場においても国民党の勢力は減退し、立法委員の影響力は削られた。一方、海外からの投資に対する規制は緩和された。与党となった民進党は金融システムに対して、国民党のような組織的な関与をせず、陳水扁の個人的な関係を使って影響を与える傾向がある。
 報告者は以上のように、総統選挙前後の変化をまとめ、今後の課題として金融の自由化、関係法案の早期実現、第二次政党交代などを提案した。特に報告者は、金融の自由化とは決して資本の流動を促進させることではなく、外国銀行の進出を積極的に促すことであると強調した。

 続いて松本充豊氏(国立台湾大学国家発展研究所/神戸大学国際協力研究科助手)からコメントが行われた。氏は、報告者が民主化と経済の停滞が並行して起こったという興味深い問題を取り上げ、それを新制度主義から分析を試みたことを評価した。一方、実際の議論では新制度論が想定するように制度が必ずしも独立変数として扱われていないことを指摘した。また政治的勢力の干渉と金融体系の脆弱との関係が直接的に解明されていないこと、そして本来、フィリピンについて適用された「親信資本主義」という言葉が曖昧なまま使われていることなどをコメントした。会場からは情報の非対称性などの概念の使い方が経済学とはやや距離があることや、外資導入の中で中国資本をどのように扱うのかということ、諸外国との金融改革の比較についてもっと深い議論をすべきではないかという指摘が出た。さらに結論の金融改革についても報告者とは違った考えや、また、外国の学者向けに発表するなら、始めに台湾の金融体系の特徴について基本的な説明があるべきだという意見も出された。

 個人的な見解としては、政治と経済の「公式-非公式」な関係を垣間見られたようで興味深かった。現在、国民党政権時代に行われた様々な事実が公表されている。そうした事実を把握することにより、「台湾の奇跡」がどのような過程で起こったか、そしてなぜ今日、台湾経済は困難に直面しているかという問題の手掛かりが得られるだろう。そしてそれがこれからの政権にどのような影響を与えるのかが、注目すべき点である。今回は使用言語が中国語ということで、日本人参加者の中には全てを理解できないという人もいたが、台湾研究者が参加しやすいという面でも、使用言語を中国語に限定することはよい試みだと思う。(阿部賢介記)