日本台湾学会台北定例研究会


 

第20回

 

日時 2003年11月8日(土) 14:30-16:30
場所 国立台北師範学院 行政大楼506室(社会科教育系討論室)
(台北市大安区和平東路2段134号)
報告者 黄 国超 氏(清華大学人類学研究所碩士・成功大学台湾文学研究所博士班)
コメンテーター 黄 智恵 氏(中央研究院民族所)
テーマ 「従神聖到世俗:泰雅族改宗過程中的Utux(神霊)、Gaga(規範)、Niqan(信仰団体)角
色変遷的探討」
使用言語 北京語



参加体験記
 立冬というのに全国各地で気温が30度を上回る好天気となった11月8日(土曜日)、第20回台北定例会が開催された。場所はいつもの台北師範学院。当初の予定では、14時30分からの開始となっていたが、報告者の到着が事情により遅れたため、40分ほど遅れて開始となった。20人近くが集まった。
 報告者は成功大学台湾文学研究所博士課程の黄国超氏。同氏は今回、同氏の修士論文(清華大学人類学研究所)のうち第5章を抜き出し、これを北京語で報告した。ちなみに、台北定例会で人類学関係の発表が行われたのは初めてである。
 今回の報告のタイトルは『従神聖到世俗:泰雅族改宗過程中的Utux(神霊)、Gaga(規範)、Niqan(信仰団体)角色変遷的探討』で、新竹県尖石郷の鎮西堡および新光部落に住むタイヤル族のうちほとんどが、戦後わずか50年間(特に1950~1960年の10年間)でキリスト教(大部分は台湾キリスト長老教会)の洗礼を受けていることに着目し、その原因を従来行われてきた外在的要素ではなく、タイヤル族の文化背景や習慣、考え方などの内在的要素に見出すというものだった。報告者はこの論文を執筆するために、過去の文献を初めから読み直すほか、複数回のフィールドワークを行い、日本統治時代から定着していたUtux、Gaga、Niqanといったタイヤル語の定義について見直しを試みたという(ただし今回の報告では、これらの言葉の定義には説明を加えなかった)。
 今回の報告に対してコメンテーターである中央研究所民族所の黄智恵先生は、黄国超氏がUtux、Gaga、Niqanといったタイヤル語の定義について見直し、新たな観点を持ち込んだことなどについて評価した。また、黄国超氏が報告の中で紹介した、聖書にあるモーゼの「十戒」の精神がタイヤル族に古来から伝わる「禁忌」と通じる部分が多く、これがタイヤル族がキリスト教を受け入れる大きな要素となっていると説明した部分などは、筋が通っており興味深い指摘だと述べた。さらに、タイヤル族には「地獄」という概念がなく、このためタイヤル族はこの概念をタイヤル語の「懲罰を受ける」という言葉で代用しているという指摘に対しては、キリスト教で最も重視される「愛」という概念も、同様にタイヤル族には存在しなかったものだが、タイヤル族はこれをどのように受け入れているのかなどと疑問を提示した。
 また参加者からは「問題提起に対する結論が説得力を欠く」「ほかの内在的要素も考えうるのではないか」「日本統治時代のUtuxを天照大神とのみ表記するのは短絡的過ぎる(論文27頁に対する意見)」「タイヤル族は各地に居住しているのに、筆者がフィールドワークの対象とした部落の例を挙げげて、それによりタイヤル族すべてを説明しようとするのは危険なのでは」などといった意見が出され、それに関する議論が展開されたほか、またアプローチの手法などについても意見が挙げられた。

 私は、キリスト長老教会の歴史や日本統治時代の宗教政策などにも興味を持っており、今回の報告を非常に興味深く拝聴した。ただし人類学は未知の分野で、今回、報告者および参加者の話を聞きながら、人類学という学問の難しさと敏感さを改めて感じた。ある参加者は、一部の部落の習慣や経験を1つの民族の習慣や経験と見なすことは「人類学者としての怠慢」だと指摘していた。また、「原住民の思想や生活は単純」「原住民は教育水準が低い」というような、原住民に対するありがちな先入観は、必ず排除しなければならないとも述べていた。しかしこれは、どの学問にも当てはまることである。われわれが台湾研究を行う際、一部の台湾人の意見を台湾人すべての意見とすりかえるようなことはしていないか、無意識のうちに先入観を抱いていないか、改めてその研究態度を顧みる必要があるだろう。
 これまで、台北定例会は金曜日の18時半から行われることが多かったため、議論は20時半で打ち切られていた。しかし今回は、土曜日の午後2時半からの報告だったため(ただし実際には約40分遅れで開始)、報告および議論に十分な時間を割くことができ、議論は18時まで続けられた。(永吉美幸記)