日本台湾学会台北定例研究会


 

第23回

 

日時 2004年5月1日(土) 18:30-20:30
場所 国立台北師範学院 行政大楼506室(社会科教育系討論室)
報告者 天江 喜久 氏(ハワイ大学政治学 Ph.D. Candidate)
コメンテーター 王 昭文 氏(国立成功大学歴史研究所)
テーマ 「行過死蔭的幽谷:美麗島事件以來台灣基督長老教會和黨外反對運動的合作關係(1979~1987)」
使用言語 北京語
参加費 無料



参加体験記
 蒸し暑い一日となった5月1日、国立台北師範学院にて第23回台北定例会が開催された。今回の報告者は、ハワイ大学政治学博士候補の天江喜久氏。コメンテーターは成功大学歴史研究所の王昭文・女史。報告のタイトルは「行過死蔭的幽谷:美麗島事件以來台灣基督長老教會和黨外反對運動的合作關係(1979~1987)」で、北京語によって行われた。参加者は20人余り。
 天江氏の研究目的は、台湾民主化運動における党外運動と台湾キリスト長老教会の関係と、台湾民主化運動において長老教会の果たした役割を明らかにすることにある。天江氏によると、長老教会の歴史的な発展や建築物に関する研究、国民党政府対長老教会といった視点での研究は行われているものの、党外運動との関わりという観点から政治学的に長老教会の役割を説明した研究はまだ少ない。天江氏は研究を進めるに当たり、長老教会が発行する『教会公報』や教会の文献、政府の文献を用いたほか、長老教会やかつての党外人士など、数多くの関係者に対するインタビューを行ったという。

 天江氏によると、美麗島事件(高雄事件)が発生する前から長老教会の関係者と党外人士との接触はあったが、それは個人的な交流に限られていた。美麗島事件後、指名手配中の施明徳氏をかくまったことで教会関係者が投獄され、これをきっかけに長老教会は各地で投獄された教会関係者のために祈祷を行うようになり、また家庭礼拝を通じて党外人士など政治迫害者の家族を信仰へ導くようになった。天江氏は、長老教会と党外人士との接点として、礼拝が果たした役割を大きく評価している。
 また天江氏は、長老教会が非常に組織化されており、リーダーを選挙で選ぶ制度を早くから確立させていたことに着目し、台湾の民主化以前に、長老教会がすでに民主制度を認識していたことの重要性を指摘した。また、長老教会の特徴として、本土認同、実話化神学、先知的角色の3つを挙げた。そのうち実話化神学とは聖書の解釈に関するもので、1970年代になって長老教会が主張するようになった「self determination(自決)」の概念は、長老教会が「自決」を神から与えられた権利として解釈したことによるものだという。

 この報告に対してコメンテーターの王昭文・女史は、長老教会の台湾アイデンティティーに関する説明が不足していること、教会側の資料を多く使用しているため、観点が教会の立場に偏っているのではないかと指摘した。また、国民党政府の教会に対するコントロール、国語教会と台湾語教会の対立、海外の台湾独立運動団体と教会の関係、アメリカ政府の台湾長老教会に対する立場、など幅広い視点からの説明を行うべきとのアドバイスが提示された。また会場からは、長老教会は第二次世界大戦前から台湾で大きな役割を果たしてきており、戦後の動きだけでなく、戦前の歴史にも目を向けるべきとの声もあった。また研究のアプローチに関して、歴史学、政治学、社会学、神学など数あるアプローチのうち、どの視点を採用するかはっきりさせたほうがよいとの意見が挙がった。天江氏はこれに対し、台湾における神学の発展に着目していることを強調し、論文の別の章において、これについて詳しく述べていると指摘した。また今回の報告では触れなかったが、戦前の歴史についても重視していると述べた。
 台湾長老教会は、早くから強い本土意識を持ち、国民党政権下の白色テロの時代においても台湾独立を強く主張した、非常に特色のある宗教団体である。このため、長老教会と党外や台湾独立運動との関わりを明らかにすることは、現在の台湾独立運動を理解する手助けにもなるため、天江氏の研究は非常に価値のあるものだと思う。また、台湾における神学の発展に着目して、これを説明しようとする試みも新鮮である。

 ここで敢えて個人的な見解を述べるとすれば、台湾長老教会と党外との協力関係を説明するためには、やはりキリスト教の台湾上陸以降の歴史からその要素を見出す必要があるという点である。南京条約などによる開港に伴い、カトリックとプロテスタントはほぼ同じ時期に台湾に上陸したが、同じ長さの歴史を持つキリスト教のうち、プロテスタントである長老教会のほうは、なぜ「自決」を神から与えられた権利と解釈するようになったのか?同じ長老教会でも日本統治時代からすでに、イギリス長老教会を母会とする南部教会は、カナダ長老教会を母会とする北部教会よりも「本土意識」が強かったのはなぜか?南部教会で「本土意識」が強いことと、美麗島事件とそれに伴う長老教会と党外人士の接触との間に因果関係はないか?台湾長老教会の関係者のうち、どのような背景を持つ人物が党外と関係を持ち、またどのような人物は関係を持とうとしなかったのか?党外が党「外」でなくなった1990年代以降、長老教会と元・党外人士との関係は?また今回の報告では述べられなかったが、台湾長老教会のWCC(世界教会協議会)加盟と、国民党政権による「漢賊不両立」の外交政策との衝突なども、台湾長老教会の国民党政権への不満を募らせる要因になったという点で、党外との協力関係を促進した可能性も指摘できると思う。(永吉美幸 記)