日本台湾学会台北定例研究会
第24回
日時 | 2004年6月25日(金) 17:00-19:00 |
場所 | 国立台北師範学院 行政大楼506室(社会科教育系討論室) |
報告者 | 所澤 潤 氏(群馬大学教育学部) |
コメンテーター | 黄 紹恒 氏(国立政治大学経済学系) |
テーマ | 台湾のバスの最初の女性運転手―オーラルヒストリー採集で出会った事例―」 (「台湾首位公車女司機之口述歴史訪談個案」) |
使用言語 | 北京語 |
参加費 | 無料 |
参加体験記
6月25日金曜日、国立台北師範学院にて第24回例会が行なわれた。参加者はちょうど20名。報告者は群馬大学教育学部から国立台北師範学院に1年間訪問学者として来られている所澤潤氏だった。テーマは「台湾首位公車女司機之口述歴史訪談個案(台湾のバスの最初の女性運転手―オーラルヒストリー採集で出会った事例―)」。
この日は、陳邱完妹氏という今年96歳になる女性から聞き取った彼女の前半生が話題となった。そのオーラルヒストリー採集は、所澤氏個人の聞き取り経験の中でも特例にあたるという。なぜなら、通常の聞き取りでは対象者の自我形成史に取材ポイントを置き、質問内容が学校時代や軍隊経験中心になるのに対し、陳邱氏のものは社会人としての仕事経験が中心になっているからである。
所澤氏は、発表当日直前を含め8年間で計7回この女性を訪ね、彼女の前半生を7段階に区分した。第一段階は明治41年の出生時、続いて第二段階は学校時代、第三段階から第七段階はバスの運転手をはじめとする職歴であった。それぞれの段階について彼女の体験をとおして人間関係や社会事情が検討された。今回の報告は、終戦後国民党政府の接収後も病院勤めを続けた、というところまでを取上げられていた。
オーラルヒストリーを作成する場合、個々のことがらの裏づけを得る必要があり、バスの女性運転手に関するさまざまな事項の事実確認の経過も紹介された。しかしその作業は資料の不足から困難を極め、本来残されているべき基本的な公的情報が台湾史研究においてとても不足していることを改めて感じたという。その反面、オーラルヒストリーを通して失われた記録がある程度復元されることも確信したということであった。
コメンテーターを務めた国立政治大学経済学系の黄紹恒氏は、オーラルヒストリーに潜む問題点として、特殊な存在、例を普遍化してしまう危険性を指摘された。今回のインタビューで言えば、彼女が従事した職業は、当時の女性としては大変特殊なものだったと言えるだろう、しかし一方で、淡水女学校で経験したという客家人とHo-ro人との対立は大いに有り得ることだということであった。また、かつての同僚たちと今日なお日本語名で呼び合い続けるといった心情は、戦後生まれの台湾人にはわからないものである、口述歴史には自分たちの思いつかない知見が含まれているのではないか、というコメントが印象的であった。
続いて、おそらく参加者の中で唯一、戦前台湾社会を実際に生きてこられた張寛敏氏(国立台湾大学教学教授)が発言された。氏自身が所澤氏の聞き取り調査の対象であり、「所澤さんにうっかり言うたことが(記録に)残ってしまう」が、「オーラルヒストリーにしか取り出せないデータがある」、「聞き取りをまとめるのは大変な労作だ」など、インタビューされる側からのオーラルヒストリー研究への見解が示された。
その後、所澤氏は数名の参加者の質問に答える形で、インタビューのテクニックの要点をいくつかまとめられた。ご自身が10年以上取り組んできた民間人へのインタビューの場合(一方で、所澤氏は日本の政治家や元官僚など公人に対する聞き取りのプロジェクトにもたずさわっていらっしゃる)、①聞き手が複数だとインタビュー対象者は威圧されて口が堅くなってしまう可能性があり、また対象者の態度などを判断して自分がわざと控えていた質問を、別の聞き手が聞いてしまって雰囲気や信頼関係が壊れてしまう虞れもあるので、所澤氏の場合は、これまで台湾では、質問者は一人とし、そのかわり何度も訪問を重ねて聞き漏らしたことを確認する方法をとってきた(複数の質問者で質問して聞き漏らしを減らすという方法は、台湾で聞き取りを行なう場合は採っていないそうである)、② 一般の人の場合、人によっては、いきなり小さい時からの経験を順番に辿って整理しながら話すといったことが困難なこともある、話しながら少しずつ記憶をたぐっていくという形になるので、その場合は聞き取った後でそれらの内容をいくつかの時期ごとにまとめていくようにしなければならない、③所澤氏が台湾で行なってきた経験では、原則として、何が聞きたいかを事前に相手に言わないほうがよい、事前に伝えてしまうとこちらの期待していることを答えようとしたり、予め本を読んで調べてきたりしてしまうことがある、④事実に反すると思われる口述については、最後の訪問の際にさりげなく問うと、比較的相手に与える心理的影響が小さくてすむ、とのことである。
日本語で得られたオーラルヒストリーを、たとえば北京語の論文などで引用する際の翻訳の問題についての質問には、「だいたいにおいて、北京語に翻訳することは不可能ではない。きちんとした北京語が書ける翻訳者なら95%は翻訳しきれるはずだ。しかし、最近ではかなり改善されているものの、かつては台湾で出版される口述歴史書のなかに、政治的な含意をともなった翻訳もよく見られた。例えば『抗日戦争』というような北京語訳が出てくることがあるが、インタビュー対象者が日本語でそう言ったとはとても思えない」との回答があった。
なお、実際のインタビュー2回分を文字化した原稿の数センチの分厚い紙の束を研究会の席で見せて下さったが、その際に、作業量の膨大さに出席者から驚きの声があがった。そのことについて、あとで張寛敏氏が所澤氏に、「あれを見せて初めて出席者にオーラルヒストリーがどのようなものかわかったのではないか」と話されたということであった。その点を所澤氏からうかがったので特記しておきたい。
筆者も、未熟ながらみずからの研究で日本統治時代に生まれた人々への聞き取り調査を進めているが、所澤氏が事実の裏づけや、インタビュー対象者との信頼関係形成とその持続に大変神経を使いながら慎重に研究に取り組んでいることを知り、聞き取りの難しさを改めて実感した。その反面、戦前の台湾社会、日本社会を実際に走り抜けて来た人物の口から直接当時の事情を聞き取ることに所澤氏が情熱を傾け、研究者としてまた一人の人間として歓びを感じたり刺激を受けたりしていることも今回の発表から感じ取ることができ、大きな励ましにもなった。参加者からの質問も活発で、オーラルヒストリー研究への関心の高さもうかがわれた。(津田勤子記)