日本台湾学会台北定例研究会


 

第33回

 

日時 2005年11月4日(金)18:00-20:00
場所 国立台湾師範大学 総合大楼9階905号室(台北市和平東路1段162号)
報告者 前田 直樹 氏(広島大学大学院国際協力研究科)
テーマ 「アメリカの台湾政策、1960年―ポスト蒋介石体制・雷震事件への見方を通して」
使用言語 日本語

参加体験記
 2005年11月4日午後6時より台湾師範大学において第33回台北定例研究会が行われた。報告者は広島大学大学院国際協力研究科の前田直樹氏であり、コメンテーターは特に置かれず、参加者は11名であった。
 報告は、「アメリカの台湾政策、1960年-ポスト蒋介石体制・雷震事件への見方を通して」という題目で行われ、日本台湾学会報第6号に掲載された前田氏の論文の延長線上に、雷震事件を位置づけるという趣旨のもと発表がなされた。報告・質疑応答は、全て日本語で行われた。
 口頭発表では、まず報告の目的が説明された。50年代のアメリカ外交の目的として台湾における反共政権の確保があったが、この目的を達成するためには国民党以外の自由主義勢力と提携するなどの選択肢がありえた。しかし雷震事件を通じて、アメリカは政治的な自由化にほとんど関心を示さず、国民党政権に対する支援を確認し中台関係の封じ込めを引き続き進めていくことになった。民主的な反共政権の選択肢がなぜ考慮されなかったのかという点を、雷震事件の分析を通じて説明するのが、報告の趣旨であるとされた。
 次に、50年代のアメリカの台湾政策が分析された。第1次・第2次台湾海峡危機を通じて、アメリカは台湾海峡情勢の固定化・中台紛争の抑止を図る一方で、反共政権に対する支援を強め台湾の確保を目指した。この背景には、国民党政府、特に陳誠を中心とする親米テクノクラートに対するアメリカの高い評価があった。50年代後半からアメリカの冷戦政策は変容し、第三世界の経済の安定・自立が目指されるようになったが、台湾でもこれに対応して経済改革が進められ、国民党政府下での経済発展はアメリカから高い評価を得たのである。
 一方、雷震は雑誌『自由中国』を通じて国民党政府に対する批判を強め、地方選挙を通じて国民党に対する反対派の緩やかな組織化を進めていった。その中で 1960年の韓国における政変は、台湾へ大きな影響を与えることになった。国民党政府は民主化の波及を警戒した一方で、雷震らは大きな鼓舞を受け、無党籍の本省人政治家を中心として反対党の結成に進んでいった。しかし、アメリカは陳誠のもとでの経済改革・体制の安定性を高く評価しており、本省人政治家が未組織の状態にある中で韓国のパターンの政変が起これば、台湾政治は非常に不安定な状況に陥ると危惧した。結果として、アメリカの黙認のもと雷震らは逮捕され野党の結成は挫折に終わった。
 雷震事件をめぐりアメリカは、国民党政権後に成立するかもしれない本省人政権の統治能力に対し疑問を呈し、また独立志向・非中国化が進むことにも懸念を示した。アメリカにとって中国と対抗するためには国民党政権が必要であり、国民党政権に対する支援を再度確認し、政治的な抑圧が継続することも黙認することとなった。
 アメリカの立場からすれば、台湾海峡情勢の固定化を図るためには台湾に安定した反共政権を確保する必要があり、国民党政権のもとでの台湾経済の安定・自立と、本省人政権のもとでの政治の不安定化・非中国化の可能性を考慮すれば、国民党以外の選択肢は存在しなかったといえる。その結果、台湾における野党の発展は70年代以降まで待たざるをえなくなったが、後の民主化運動において雷震・民主党は、人脈などの点で大きな影響を与えることになった。
 以上が前田氏の報告の骨子であり、この報告をめぐって活発な質疑応答が行われた。主な質問を挙げると、①野党結成の承認に代表される自由化と全国レベルでの民主的選挙につながる民主化とを概念的に区別すべきではないか、②60年代に米中関係の緩和が見られたにも関わらずアメリカが反共的な台湾の確保に拘ったのはなぜか、③台湾の経済改革の具体的な中身はどのようなものか、④陳誠に対するアメリカの信頼がなぜそこまで強かったのか、⑤韓国と台湾の違いはどのようなものであったか、⑥アメリカと本省人政治家の接触はあったのか、⑦アメリカは本省人政権における非中国化を具体的にどのように見ていたのか、等の点であった。
 これらの質問に対する前田氏からの回答は、おおよそ以下のようなものであった。①雷震事件の当時においては自由化と民主化が一体のものとして捉えられていた、②60年代にはアメリカは台湾を経済的に安定させその上で中国と取引することを目指していた、③台湾の経済改革の具体的中身は、自由化・脱公営化を進め投資を刺激するというものであったが、本省人が多数を占める中小企業については考慮を欠いていた、④陳誠の能力・人脈・農業政策等における実績とともに、ポスト蒋介石の最有力後継者としての地位がアメリカに評価された、⑤台湾は韓国に比べ制度が安定しており、また本省人政治家の政治組織が未整備で政変後の受け皿が整っていないとアメリカは見ていた、⑥アメリカは本省人政治家と接触して国内政治情報を収集しており国民党も黙認していた、⑦アメリカは国民党後に本省人中心の政権が作られ、政治的不安定・非中国化が進むことに危惧を抱いていたが、具体的な見通しは持っていなかった。
 報告は米台関係の現代史に関するかなり詳細な議論であったが、論旨は非常に明確であり、筆者のような素人も知的好奇心を大いにそそられる刺激的なものであった。質疑応答も非常に活発に行われ、雷震事件を前後するアメリカの台湾政策・米台関係について理解が大いに深められた。個人的には、国民党政権下の経済改革に対する高い評価と、本省人政治家の統治能力に対する懸念から、アメリカが雷震事件を黙認し国民党政権への支援を継続していくことになったという前田氏の解釈は、大変納得のいくものであった。特に、アメリカが当時から省籍矛盾を深く認識しており、本省人政治家の独立志向・非中国化を強く危惧していたという指摘には、教えられるところが大きかった。(若畑省二記)