日本台湾学会台北定例研究会



第36回


日時 2006年4月22日(土) 15:00開始
場所 国立台北教育大学(旧・国立台北師範学院) 行政大楼506室(社会科教育系討論室)
(台北市大安区和平東路2段134号)
報告者 劉 麟玉 氏(四国学院大学文学部助教授、中央研究院台湾史研究所訪問学人)
テーマ 「桝源次郎と黒澤隆朝による台湾民族音楽調査(1943)―南方政策との関わりをめぐって」
使用言語 北京語(レジュメは日本語)
参加費 無料

参加体験記
 2006年4月22日、国立台北教育大学において第36回台北定例会が開かれた。劉麟玉氏(四国学院大学文学部教授)が、「桝源次郎と黒澤隆朝による台湾民族音楽調査(1943)― 大東亜共栄圏と南方政策との関わりをめぐって」というテーマで報告を行った。コメンテーターは特に置かれなかった。参加者は9名であった。報告および質疑応答は日本語で行われた。
 報告の内容は、台湾民族音楽調査団の時代背景、調査に関わった桝源次郎と黒澤隆朝の略歴・活動、および調査団結成の背景についてであった。
 台湾音楽調査団は太平洋戦争の最中に調査を行っているが、その理由に南方政策における台湾の地位の重要さ、国の大東亜諸国民の芸術に対する姿勢などが挙げられた。
 また、調査に関わった人物については、桝源次郎は1936年インドで音楽を学び、帰国後は民族音楽研究者として活躍した。戦後、音楽方面においてあまり目立った活動をしておらず、死後は資料も公開されていないため、台湾音楽調査団における桝の存在は極めて不透明である。
 一方、黒澤隆朝は、台湾調査以前に東南アジア音楽を調査しており、台湾調査についてはライフワークとも言える『台湾高砂族の音楽』を出版したほか、膨大な手帳も残している。また、1953年に世界民族音楽会議に出席し世界的にも注目を浴びたが、その後はそれ以上の研究はしていない。
 台湾音楽調査団については、1942年、黒澤と交流のあった楽器商の白井保男の斡旋で、日本ビクター社内に「南方音楽文化研究所」が設置され、調査団が結成された。調査団は台湾総督府の委嘱という形で、翌年約3ヵ月半にわたって漢民族と原住民の音楽に関する調査を行い、ヤミ族以外の台湾原住民全ての民族を訪ね、録音と映画を残した。しかしこれらは戦火のためほとんど焼失し、黒澤の手元に編集用の音楽テープのみが残った。なお、このテープの原住民音楽の部分はレコードとして発行されたが、漢民族の音楽が録音されたマスターテープは見当たらないとのことである。

 調査団結成の背景については、台湾の音楽事情を究明するのは、東南アジアにて不動の経済力をもつ華僑への文化工作へくさびをうつため、と黒澤は述べているが、彼の手帳には矛盾する記述もあるとのことであった。

 質疑応答では、調査団のルート、黒澤と高一生との対面、総督府の委嘱部門と調査に対する意欲、当時の原住民の調査団に対する態度、黒澤の台湾調査のきっかけなどについての質問があった。

 劉氏は2000年より台湾大学音楽学研究所の王桜芬氏と共同で黒澤の台湾調査について研究しており、黒澤が回ったルートを2度にわたり再調査し、その結果、当時の録音の様子を覚えている人が9名いたそうだ。彼らの話によると当時の録音の中には今では歌われないもの、わからないものもかなりあるという。

 今回の報告で個人的に強く印象に残ったことは、黒澤隆朝に関しては、孔子音楽に興味を持ち、台南の孔子廟に赴き「私祭」という形で行われた儀式の音楽調査をしたこと、漢民族や原住民の音楽を「新しい世界」と評価していたこと、また桝源次郎に関しては、昭和初期という時代にインドに音楽を学びに行ったこと、残念ながら諸事情により没後資料が公開されていないこと、などである。(石村明子記)