日本台湾学会台北定例研究会
第37回
日時 | 2006年6月24日(土) 15:00開始 |
場所 | 国立台北教育大学(旧・国立台北師範学院) 行政大楼506室(社会科教育系討論室) (台北市大安区和平東路2段134号) |
報告者 | 張 文薫 氏(政治大学台湾文学研究所) |
テーマ | 「従『現代』観想『故郷』-張文環『山茶花』作為文本的可能」 |
使用言語 | 北京語(質疑応答は北京語および日本語) |
コメンテーター | なし |
参加費 | 無料 |
参加体験記
6月24日、国立台北教育大学において第37回台北定例会が開催された。報告者は張文薫氏(政治大学台湾文学研究所助理教授)、「観想『故郷』-張文環『山茶花』作為文本的可能」という題名のもと、日本統治時代の作家張文環が1940年に『台湾新民報』に連載した「山茶花」をめぐって詳細な報告がなされた。参加者は10名、コメンテーターは置かれなかった。
はじめに、張文環とその創作活動、「山茶花」の内容と評価、先行研究などが紹介された。報告者の問題意識は、テキスト内部の問題とテキスト外部のそれとを分割して討論し、そこから浮かび上がる同作の可能性を探ることにあったといえる。舞台として語りの対象になり続ける村が年々近代化に直面し「故郷」自身が変質する中で、主人公の賢は、その女性形象からも明らかであるが、近代への憧れと故郷への愛着という矛盾した感情を抱く。更に故郷の変容につれて彼の想う「故郷」も流動的になっていく。一方、女性主人公の娟は賢が抱く憧憬の投影先であり、同時に賢とはネガとポジの関係にあたり結ばれることはない。また、作者と登場人物の関係を見ると、成長した賢に寄り添い、娟をつかみきれずに犠牲にする作者像が浮かび上がる。以上がテキスト内部の孕む問題であり、テキスト外部には作者自身の創作前の言葉や同時代の批評といった問題がある。作者の予告と作品のずれ、「素材」羅列と評される創作方法、好評と言われながら同時代批評が僅少である事など。同時に、報告は張文環の他の作品との関連性や30~40年代の自由恋愛と近代という話題にも触れながら進められた。上記のような報告の後、質疑応答がなされた。
質疑応答では、報告者が強調する賢の「昔のまま」への執着が賢の成長と共に変化しているという点、「センセーション」を巻き起こしたと評されるが実際はどの程度だと考えて良いのか、同時期の新聞連載小説における挿絵の持つ意味、張文環の留学経歴と作品内故郷の関連性の有無、掲載紙『台湾新民報』の発行部数や当時の読まれ方など、文学分野からだけではなく、歴史分野や戦前期の状況を記憶する参加者から様々な意見が提出された。
初めての参加であり、緊張して臨んだのであるが、専門分野を異にする参加者同士が各自の立場から意見を交わし合い、良い雰囲気の中で会が進められていることに好感をもった。
(末岡麻衣子 記)