日本台湾学会台北定例研究会
第38回
日時 | 2006年8月11日(金) 15:00開始 |
場所 | 国立台北教育大学(旧・国立台北師範学院) 行政大楼506室(社会科教育系討論室) (台北市大安区和平東路2段134号) |
報告者 | 河原 功 氏(成蹊高等学校) |
テーマ | 「日本統治下台湾での『検閲』の実態」 |
使用言語 | 日本語(質疑応答は北京語および日本語) |
対話人(問題提起等) | 李 承機 氏(国立成功大学台湾文学系) |
参加費 | 無料 |
参考資料 | 河原功「日本統治下台湾での『検閲』の実態」『東洋文化』86号、東京大学東洋文化研究所、2006年3月。(当日会場でコピーをお配りします) |
参加体験記
2006年8月11日、国立台北教育大学で、第38回定例研究会が開かれた。報告者は河原功氏(成蹊高校)、李承機氏(国立成功大学)がコメンテーターを務め、参加者は22名であった。
報告は、「日本統治下台湾での『検閲』の実態」という題目で、河原氏の『東洋文化』(2006年3月)に掲載されている同題目の論文を基に、報告、質疑とも日本語で行われた。
植民地下台湾で、検閲が行われていたことは、台湾研究者ならば誰でも容易に想像がつくことではある。だが、検閲そのものが「秘」行為であり、現存資料も乏しく、資料発掘作業の困難さ、困難さへの危惧からか、その実態は明らかにされてこなかった。河原氏は、現存資料『台湾出版警察法』(1930年1月から 1932年6月までの30号分・国立台湾大学総図書館所蔵)を主軸に、各種資料への細やかな目配りと着実で豊富な研究経験を基に、植民地下台湾での検閲、発禁の実態を実証的に解明した。報告の概要は以下の通りである。
植民地下台湾での検閲の対象は、新聞、雑誌、単行本から、パンフレット、絵葉書、写真、暦、守り札、マッチのラベルなど多岐に及んだ。「台湾新聞紙令」(1917年12月制定)が、新聞、雑誌を、「台湾出版規則」(1900年2月)が、それ以外の出版物を取り締まりの対象としていた。「台湾新聞紙令」は、日本内地の「新聞紙法」に比べ、遥かに厳しく、それは、①日刊紙発行の制限、②発行前の納入義務、③「新聞掲載ノ事項」に違反した場合の行政処分、④台湾島外発行紙の輸移入制限、⑤新聞記事掲載の差止め、⑥司法処分などの規定によく表れている。例えば日本からの移入については、新聞、雑誌など多岐にわたる出版物が発禁処分を受けており、1931年1月から6月の間に発禁処分を受けた新聞、雑誌の部数は総計約10万部に及ぶ。共産主義運動、無政府主義運動、労働運動や社会運動に関するものは日本内地でも発禁になることが多かったが、台湾では、台湾に触れた記事、政論、時事、小説までもが発禁対象となった。一方、台湾での中国大陸刊行物への関心の高さから、中華民国からの輸入も多かったが、対日批判、台湾民族運動擁護に関するものはもちろんのこと、「地図」、「暦」なども発禁処分を受けた。これら移入、輸入刊行物に比べ、台湾で発行された刊行物の発禁処分部数は圧倒的に少ない。これは「台湾新聞紙令」及び「下刷検閲」等、検閲以前の締付の厳しさ故である。また、削除処分(他の記事との差し替え、○○での表記、活字塗り潰し、該当ページを印刷しない等)、発売頒布禁止の行政処分を明記した資料を実際に提示し、検閲の実態の一端を検閲の痕跡からも検証した。さらに、楊逵の証言、呉新栄、林輝焜の蔵書に発禁資料が現存することなどから、資料の残存の可能性と、掘り起し作業の急務についても提唱した。
最後に、河原氏は、「検閲は、台湾文学運動の健全な成長を阻害し、歪曲した大きな要因となった。台湾文学は「検閲」との闘いであり、台湾の検閲制度の解明は台湾文学の歪んだ成長過程をも明らかにするはずである。そのためにも、検閲の実態を解明することが求められる」と報告を締めくくった。
これに対し、李承機氏は、河原氏の実証的な報告、長年の着実な研究成果と方法に敬意を表した上で、検閲が台湾文学の発展を阻んだという殖民-被殖民という河原氏の視点に対し、この検閲制度に対し、台湾人はどのように対処してきたか、できたかという読者側、著者側の戦略という視点から様々な問題提起を行い、聴衆の想像力を刺激し、今後の研究の発展の可能性を示唆した。例えば、発禁、伏せ字などを読者側はどう解読したのか、著者側はどう利用したのかなど問題提起し、殖民-被殖民の二対抗立の図式を鮮やかに崩し、新たな視点を喚起した。また、新聞など出版物の輸入、移入の時間差とその意味について、市場の競争の問題などについても言及した。
フロアからも、輸入移入出版物の多さから、検閲はどのように可能だったのか、また発禁出版物の多さは検閲の不可能性の結果ではないか、など検閲行為そのものに対する問題、また日本の実態との比較など、多くの質問、意見が寄せられ、活発な議論がなされた。
河原氏の、実証的な研究方法、長年の着実な研究経験に基づいた骨太で豊穣な報告と、李承機氏の、河原論文を豊穣なるテキストとして、綿密に読み解き、新たな視座から問題を浮かび上がらせる鮮やかな手法に、多くの研究、研究方法の可能性を感じ、私自身も研究を志していくものとして、大きな刺激と目標とエネルギーを得た。(赤松美和子記)