日本台湾学会台北定例研究会


 

第43回

 

日時 2007年11月17日(土) 15:00開始
場所 国立台北教育大学(旧・国立台北師範学院) 行政大楼506室(社会科教育系討論室)
(台北市大安区和平東路2段134号)
報告者 李 衣雲 氏(政治大学台湾史研究所)
テーマ 「台湾における「哈日現象」の展開について、1945-2003」
使用言語 日本語(質疑応答は北京語および日本語)
コメンテーター 羅 慧雯 氏(世新大学伝播管理系)
参加費 無料



参加体験記
 2007年11月17日に台北教育大学にて第43回台北例会がおこなわれた。もともと10月上旬に予定されていた例会だったが、台風の影響でこの日に延期 となった。報告者は李衣雲氏(政治大学台湾史研究所)、コメンテーターに羅慧ブン[漢字はあめかんむりの下に文]氏(世新大学伝播管理学系)で、14名の 参加者があった。
 テーマは「台湾における「哈日現象」の展開について、1945-2003」、李氏は同名の博士論文で2006年度に東京大学で博士号を取得している。
 台湾においては1990年代に日本の大衆文化の受容が急速に広がり、哈日族などといった呼称も現れた。この時期の哈日現象については、たとえば日本のド ラマについてなど、すでに少なからぬ研究が発表されているが、李氏は哈日を日本統治が終わってから今日までの長期的な現象としてとらえ、その多様性や流動 性に注目した。李氏の報告の概要は以下のとおりである。
 哈日というのは90年代以降に突如出現した現象ではない。それは日本統治期、そして1945年以降の台湾における共通の経験、集団的記憶にもとづくもの であり、長期にわたって醸成されてきたものである。ブルデューの理論に拠れば、「中国本位の集団的記憶」に対抗すべく、日本統治を経験した本省人らのあい だで身体化された「台湾本位の集団記憶」が、家庭などでの日常生活をとおして次世代にも伝えられたと考えることができる。ただそこで共有される「日本」へ の親近感は、具体的経験にはもとづかない「虚像」にささえられていた(「虚像」という点では、「中国本位の集団的記憶」に依拠する「敵」としての「日本」 も同様)。こうした親近感は、1990年代以前の日本大衆文化の「地下」での流通を後押ししていた。
 90年代に日本の大衆文化が解禁されて以降、長年蓄積されてきた「日本」に対する憧憬は、哈日風と呼ばれることになる現象の力強いバックボーンとなっ た。各メディアをとおして伝えられるさまざまな事物や風景に対する正の日本イメージは、個々のケースに対する評価を超えて、「日本」を進歩性、高品質を体 現する記号として機能させるにいたった(たとえば「日式拉麺」、「日式百貨公司)。しかし90年代後半以降、哈日の経済的利益や話題性は徐々に低下している。
 台湾社会の哈日を考察するにあたっては、その「虚像」と「実体」を区分する必要がある。そうすることによって、台湾社会においてことなった集団的記憶を 有する人々が、みずからの理想や願望が投影された「虚像」としての「日本」を受容するさまを的確に分析することが可能になる。「虚像」と「実体」を混同し たままでは、たとえば哈日現象を単純に「媚日」と位置づけるような批判におちいってしまうことになる。

 以上の報告に対し、コメンテーターの羅氏からは、歴史社会学の手法や文化理論を駆使し、長期、広範囲の事象にわたる分析をおこなっている点に対する評価 が示された。一方、国民党政府の文化政策の変化をくわしく参照したら興味深い知見が得られるのではないかという提言などもあった(台日間の外交関係が良好 なときには、日本の大衆文化に対するコントロールも相対的にゆるかった)。
 その後の質疑応答では活発な討論がかわされた。その一部をあげれば、90年代以前の日本の大衆文化の流入を、90年代の哈日現象との連続性でとらえるこ との妥当性、日本の大衆文化の受容と日本に対する好感度の連関、哈日のなかに存在する多様性(例:世代、メディア)、いわゆる韓流と哈日の比較、台湾社会と韓国社会での日本大衆文化の受容の異同、などといったことが話題にのぼった。
 哈日現象が言われるようになってからすでに久しく、哈日という語にも何ら新鮮さはない。しかし討論中も指摘があったように、これまで何をもって哈日が語 られてきたのかと考えてみると、対象や関連領域の多様性にあらためて気づかずにはいられない。こうした困難なテーマにあえて取り組み、さらに日本統治およ びそれ以降の歴史の文脈のなかに、哈日を単なる印象論にとどまらず理論的に位置づけようとした李氏のこころみは、私にとっては刺激的で説得力を持つもので あり、おおいに好奇心をかきたてられた。(冨田哲記)