日本台湾学会台北定例研究会


 

第50回

 

日時 2009年11月14日(土) 15:00開始
場所 淡江大学台北キャンパス D322室
(台北市金華街199巷5號)
報告者 林 初梅 氏(台灣師範大學台灣文化及語言文學研究所)
テーマ 「台湾郷土教育思潮のなかの「日本」―「近代日本像」は如何に語られているか?」
コメンテーター 松永 正義 氏(一橋大学大学院言語社会研究科)
使用言語 北京語



参加体験記
 本日11月14日(土)淡江大学台北キャンパスにて、第50回台北例会が行なわれた。参加者は23名。院生を中心とした日本人が半数以上を占める中、教育や文学分野の台湾人研究者の姿も見られた。報告者である林初梅氏は、2007年に一橋大学院言語社会研究科の博士課程を修了し、翌年9月より台湾師範大学台湾文化及台湾語言文学研究所にて、教鞭を執っている。今回の報告は、今年2月に東信堂より出版された『「郷土」としての台湾 郷土教育の展開にみるアイデンティティの変容』の内容を元に、『台湾郷土教育思潮のなかの「日本」―教育の台湾化、そして日本統治下の「過去」の受容問題』というテーマで進められた。
 台湾における「本土化」(台湾化)教育と日本植民統治の連続性の受容との関係が議論の焦点となった。まず、台湾社会において「日本統治時期の台湾」はどのように解釈されているのか、『認識台湾』とそれ以後に出た教科書にはどのように記述されているのか、台湾人がアイデンティティについて考える際に「日本」という歴史記憶の要素はどのように利用され、文化的アイデンティティへと転化しているのか等が問題意識として、林氏から提議された。これらの問題を考えるために林氏は具体的な例として『認識台湾 歴史篇』の第七章と第八章の節ごとのテーマと、記述に対する批評者の主だった意見を表にまとめ提示した(例えば「日本は台湾を南進の補給基地にした」という記述が批評者によって「南侵の基地」に差し替えるべきだと提案された事例等が紹介された)。更に、後藤新平のアヘン政策を、教科書会社各社がどのように記述しているかも比較。これらの具体的動きを通して、日本統治への評価が90年代の台湾教育界では「手探り」の状態であったことを指摘した。

 次に、日本時代に作られた郷土読本に対する評価が、『羅東郷土資料』復刻版の序文などを例に提示された。参加者の興味を強く引いたのは、台北にある士林小学校や日新小学校にいまだ残る日本時代の石柱や日本風デザインの校章の画像での紹介であろう。これら目に見える物にまで殖民統治の連続性、台湾社会の受容の様子が見てとれる恰好の例と言えよう。
 コメンテーターの一橋大学教授・松永正義氏からは流暢な中国語で、日本においても日本の植民統治は評価が分かれていること、五四運動が戦前台湾の郷土文学に影響を与えたように、「中国」という要素も台湾人の郷土意識を考える上で無視できないのではないか、「日本統治下の近代化」についてはあくまで「植民地的近代化」という性質から見つめるべきである、といった指摘が挙げられた。
 参加者からも質問やコメントが多く出た。紙幅の都合でポイントのみ紹介すると--○教科書の記述、編纂、審査を誰が、どんな基準に基づいて行なうかというと、現時点ではより多数の人に受け入れられやすい意見・見方が採用される傾向にある。○学校という場での歴史認識のあり方も、例えば創立年数を日本時代から数えるか、戦後から数えるかといった点から看取できる。その他、「郷土」「本土」といった用語の使われ方についての現状や、日本語で言う「近代」とは中国語で「現代」で、日本語の「現代」は中国語の「当代」にあたる--といった議論も活発に行なわれ、会場は盛り上がった。
 また、有名作家の著述やテレビ番組や映画作品等、学術や教育界以外からの歴史認識形成に与える影響もあるのではないか、という参加者からの指摘もあった。

 私個人は、林氏の「日本統治の連続性には受容されるものとされないもの、受容できる人とできない人がいる」という主張が印象的だった。日本語世代の歴史記憶、アイデンティティを研究するため日本語で聞き取り調査を行なう人間として、例えば日本語を上手に話す=親日家、日本の植民統治を肯定している、と考えるような短絡性に陥ってないか、自分に深く問うてみたいと思った。(津田勤子記)