日本台湾学会台北定例研究会
第57回
日時 | 2011年6月11日(土) 15:00開始 |
場所 | 淡江大学台北キャンパス D208室(台北市金華街199巷5號) |
報告者 | 許 時嘉 氏(名古屋大学学術研究員) |
テーマ | 「近代文體成形過程中「傳統」文體的變異:漢詩文的自我相對化與再生」 |
コメンテーター | 藍 弘岳 氏(国立交通大学) |
使用言語 | 北京語 |
参加体験記
2011年6月11日に第57回台北例会が淡江大学台北キャンパスで開催され、許時嘉氏(名古屋大学学術研究員)が「近代文體成形過程中「傳統」文體的變異:漢詩文的自我相對化與再生」(近代文体の形成における「伝統的」文体の変容:漢詩文の自己相対化と再生)と題して報告をおこなった。コメンテーターは日本思想史が専門の藍弘岳氏(交通大学社会與文化研究所)で、参加者は7名だった。
報告の概要は以下のとおりである。
本報告は、明治日本と植民地台湾における漢詩文意識を例にとり、ナショナル・アイデンティティーと文学的規範の齟齬とその原因の考察を試みたものである。 まず、日清戦争期の漢字・漢文論争での漢語漢文の〈実体化―機能化〉の過程から、大江敬香の漢詩文観と籾山衣洲の植民地詩文活動における文体/国体の二重性を例にとり、帝国の拡張過程における日本人漢詩人の位置について考察を試みた。東洋に共通する漢学は中国の産物であったにもかかわらず、日清戦争における中国敗北の事実と日本にとっての漢学の不可欠性の認識が交錯する中で、漢学界には〈中国に由来する漢学〉を〈日本によって再興される漢学〉としてとらえ直す趨勢が生じた。こうして、漢語漢文は倫理教育の一つの〈道具〉として従来よりも国民教育に重要な位置を占めるようになったかに見えるが、漢文体が代表する言語としての価値は「我文脈」である和文脈に置き換えられた。しかし、文体は一方で国体と外部的合体を果たし、他方ではその内部において自己疎外を生じた。この意識の二重化によって、漢詩人として明治詩壇で活躍した大江敬香と田邊蓮舟が植民地台湾に赴く籾山衣洲に贈った「任重クシテ道遠シ」という言葉には、アンチ・シナによって具現化しえた日本の国家意識が潜んでおり、且つ日本を中心にアジアの再興を目指そうとする漢学意識も内包されていた。「任重クシテ道遠シ」という言葉が二義的に読み取られることによって、明治期の漢詩人たちの複雑な心理は、文体(漢文脈/和文脈)と国体(中華文化圏に属する日本/東洋の中心たる日本)とが錯綜、交差する歴史を反映することになるのである。一方、日本人漢詩人は植民地に赴き、日本の国威を喧伝する任務を背負っていたが、漢詩を作る際には「漢詩らしさ」を保持しようとして厳しく自戒してもいる。彼等は台湾人を「文明化」し、日本に畏服させる意思を抱いて意欲的に台湾に渡ってきたが、漢詩文という類型の伝統的規範性――「キャノン」(中国古典)に近ければ近いほど優れた作品と評価される――を自己撞着的に意識せざるをえなかった。〈規範〉意識が国威の宣伝など政経イデオロギー現象のみに尽きるものではないことは、この漢詩文再興の全体をさらに複雑化しているのである。
同じ漢詩文擁護の態度は植民地台湾においては全く別の運命を迎えた。植民地における漢詩の伝統は、清朝以来の民族意識に支えられた、帝国の日本語政策に対峙する文学活動であったが、渡台した日本人官員の提唱と総督府の容認によって、清朝時代よりむしろ盛んになった側面がある。ところが、興味深いことに、20年代台湾島内における漢詩文へのこだわりには、「民族」的な理由によって「親日(=懐柔される)」「抗日(=中国民族性の保存)」のレッテルを同時に矛盾なく貼り付けることができる。多くの研究者が指摘したように、この二律背反的な現象は東アジア漢字圏の同文的システムから生じる一種のイタズラと言える。東アジアの同文性を構築した漢字文化は各地域に根を下ろし、各地域の風土人情に相応しい特色を持つ漢詩文の文化を生み出すと同時に、儒学思想を体現する伝統的経典とその神聖性、規範性がまた人々の意識を有形無形に規定している。その結果、漢詩文を堅持する連雅堂の態度は大江敬香の漢詩観と似通っており、ともに伝統文学を保持する協力関係があるにもかかわらず、漢民族意識の保存機能からみれば対立の立場を示すことになる。また、知識の啓蒙は文体の改革とは関係なく、むしろ旧文体を放棄することこそ知識の放棄に繋がると主張する連雅堂の漢詩文意識は言文一致的な新文学意識と対立しているとはいえ、日本帝国主義がもたらした同化政策に抵抗する立場では張我軍と一致している。帝国-植民地の統治関係の正当性は、一方では近代西洋文明を導入し、植民地人民を「文明化」することによって成り立っており、他方では漢詩文の伝統を意思疎通、感情的連帯の紐帯とすることによって築かれている。この二重性が同時に存在する事実は、漢詩文自体の規範性(政経的側面と審美的側面の両立)の干与を通して、漢詩文という文体に対する新旧知識人の立場の齟齬を一層複雑化させていく。
漢詩文という旧文体は日本国内の言文一致運動や中国・台湾の白話文運動という近代文体の出現によって歴史の舞台から去っていったと一般的には認識されているが、文体の価値判断の揺れが必ずしも近代国民国家イデオロギーの普遍化のみによって規定されていたわけではないことは注目に値する。(冨田哲記)
※報告の概要は、許氏から提供していただいた要約にもとづいている。許氏にしるして感謝もうしあげる。