日本台湾学会台北定例研究会


 

第59回

 

日時 2011年12月17日(土) 15:00開始
場所 国立台北教育大学行政大楼A605室(台北市大安区和平東路二段134號)
報告者 山崎 直也 氏(国立政治大学外交学系訪問学者/国際教養大学国際教養学部准教授)
テーマ 「2000年代国民中学『社会』教科書の分析―『認識台湾』後10年の変遷」
コメンテーター 何 義麟 氏(国立台北教育大学副教授兼台湾研究所長)
使用言語 日本語

 

参加体験記

 2011年12月17日午後3時から、台湾国立台北教育大学において、日本台湾学会第59回台北定例研究会が開催された。報告者は国際教育大学の山崎直也氏、コメンテーターは台北教育大学の何義麟氏、参加者は16名であった。報告者から3部(計16ページ)に及ぶ資料が配布される熱の入った報告であった。1時間半ほどに及ぶ発表の後、台湾教育の当事者でもある何氏より実情を踏まえた質問やアドバイスがあり、また、参加者からも多くの質問が寄せられ、6時を過ぎるまで議論が続けられた。筆者も台湾の学校へ通う子を持つ親として、台湾の教科書問題には大変ひきつけられた。
 以下では、山崎氏の報告「2000年代国民中学『社会』教科書の分析―『認識台湾』後10年の変遷―」の概要を記すこととする。興味はあるとは言え、筆者は教育分野に関しては素人であるため、理解不足の点もあるやも知れない。その点はご容赦願いたい。
 山崎氏は2009年出版の単著『戦後台湾教育とナショナル・アイデンティティ』より、台湾の国民中学における社会系諸教科の教科書の研究を続けてきた。氏の報告によれば、台湾の義務教育段階では、1968年の九年国民教育の実施以来、全教科で国定教科書が使われてきたが、1989年に国民中学の『体育』『音楽』『美術』『工芸』『家政』『童軍(ボーイスカウト)』『輔導活動(ガイダンス)』の教科書が審定制(検定制)に移行したことが端緒となって、「教科書開放」と呼ばれる教科書制度改革の過程が動き出した。検定制への移行はカリキュラムの改定と並行して段階的に進行し、2001年実施開始の『国民中小学九年一貫課程暫行課程綱要』に至って、全教科で検定教科書が使用されることとなった。
 国民中学の「社会」学習領域で検定教科書が導入された当時は、南一、康軒、翰林の3社とも、いずれも個性を持っており、教科書「解厳後」のテーマである「多元化」に向けて変化しつつあるように思えた。しかしながら、2004年、07年と改訂の度に、これらの教科書の内容は再び「一元化」に向けて収束しているという。
氏の報告を理解するにあたり重要であるのが「同心円モデル」といわれる台湾教育の枠組みだ。これは、身の回りの台湾から中国大陸、そして世界へ目を向けていこうというもので、具体的には国民中学1年で台湾の社会経済を学び、2年で大陸を学び、3年で世界を学ぶとするものである。これは1994年改定の『国民中学課程標準』準拠の国定教科書(97年度より使用開始)で示された枠組みである。氏の調査では、2002年の入学者用の教科書では、南一のみが「同心円モデル」を採用していたものの、2003年では康軒もこれに準拠するようになり、2004年の改訂で全社が「同心円モデル」に基づく構成を採るようになったという。(ただし、2004年度入学者用の教科書では、三社とも第1学年の下学期で中国史の一部を教える構成を採っており、1年=台湾史、2年=中国史、3年=世界史という棲み分けが全社で徹底されたのは、07年度の改訂によってであった。)
 両岸関係についても、山崎氏は検定教科書導入当初は、扱う時期や言葉遣い(中共・中国・中華人民共和国)などで、教科書ごとに差異があったが、2009年では3社とも独立した章(第五章あるいは第五課)を立て、言葉遣いも中共か中華人民共和国に統一されていると述べた。
 また、教科書における「我国」の定義も従来の教科書では差異があったが、2007年度入学者用の教科書ではいずれも主権の範囲を定義し、異なった意見も尊重するように留意を促す記述も共通している。台湾の歴史区分についても『認識台湾(歴史編)』(国定教科書)の区分に準じて統一されるようになっている。その他、2009年までに「外省人」が全教科書で統一して使われなくなり、「新移民」の用語が全教科書で統一して使われるようになったことも指摘された。
 結論として検定教科書導入からこのような「一元化」への揺り戻しは、報告者は「標準答案」主義と教科書の「経典化」の結果ではないかと示唆した。
 これに対してコメンテーターの何氏より、いくつかの質問と意見があげられた。戦後の教育改革の中には、「教員養成の改革」も含まれているのだが、その点は触れられていない点が一点目。教科書も重要だが、教え方を指導する「綱要」も変化しおり、この点も研究すべきである。これが二点目。「同心円モデル」に各教科書が準拠しているとあるが、実際は現在の台湾で「同心円モデル」は支持されていないという点が三点目であった。また、フロアからも、実際の教科書のシェアはどのくらいであるのか。教科書の採択権はどこにあるのか、などの質問が出された。
 筆者も台湾の大学で教鞭をとるものとして、「標準回答」主義には当惑した記憶がある。教科書を「経典」とし、それに書いてある「標準答案」を暗記することに力を注ぐ学生が多いことも事実である。また、「民主化によって一元化が進むこともある」という報告者の知見にも賛同させられた。検定教科書制度によって教科書も商品となった以上、顧客の需要を満たすものでなくてはならない。台湾の教科書の顧客が試験に合格することを最大の目標にする以上、統一化された試験のための教科書が求められるのも自然な流れなのかもしれない。
 コメンテーターの何氏の指摘の通り、山崎氏の研究にはまだ補強すべき点は多いが、台湾教育の問題を扱う題材として教科書研究は有意義であり、今後の更なる研究が期待される。(国府俊一郎記)