日本台湾学会台北定例研究会


 

第62回

 

日時 2012年9月8日(土) 15:00開始
場所 国立台北教育大学行政大楼A605室(台北市大安区和平東路二段134號)
報告者 下岡 友加 氏(県立広島大学人間文化学部)
テーマ 「黄霊芝の日本語文芸並びにその周辺」
コメンテーター 張 文薫 氏(国立台湾大学台湾文学研究所)
使用言語 日本語

参加体験記
 2012年9月8日、国立台北教育大学において、第62回台北定例研究会が開催された。今回の報告者は県立廣島大学の下岡友加氏(現在、師範大学の訪問学人で台湾に滞在中)で、「黄霊芝の日本語文芸並びにその周辺」と題する報告が行われた。それに対して、台湾戦前期日本語文学を専門とする台湾大学の張文薫氏をコメンテーターに迎えた。12名の参加者を得て、非常に活発な議論が行われた。
 今回の下岡氏の報告では、戦後の台湾で日本語による創作を行ってきた黄霊芝の日本語文芸活動の状況及び彼の文学理念について主に述べられたが、「日本語人」世代が台湾で文芸サークルを成立させた事情にも言及し、時代の影響関係から黄霊芝文学の全貌を捉えようとした。
 発表内容は「はじめに 黄霊芝とは誰か」「一 黄霊芝の文芸活動」「二 台湾の日本語文芸サークル」「三 まとめ―再び黄霊芝へ」に分けて順番に進められ、参考資料として、①小説「蟹」の1962年第五回群像新人文学賞予選通過資料、②1970年台湾文芸に掲載された中国語訳「蟹」第一回呉濁流文学賞受賞資料、③1971年岡山日報掲載「蟹」紹介記事資料、④1978年10月『笠』掲載「俳句詩」(中、日、フランス語を創作言語として使用)資料、⑤⑥1981年5月『えとのす』掲載評論資料、⑦「黄霊芝の主な文芸活動表」(下岡製作)⑧「『黄霊芝作品集』内容一覧表」(下岡製作)、⑧「台北に於ける主な日本語文芸グループ表」(下岡製作)が提示された。黄霊芝の日本語創作とは植民地台湾の歴史から捉えれば、苦渋に満ちた言語選択であるとともに、自らが最も得意とする言語を駆使すべきという黄の芸術至上主義理念を浮上させるものである。この点について、張文薫氏は黄霊芝の日本語精神史をより深く探究すべく、黄が戦後も日本語で創作し続けてきた特殊性を、同世代の文学者鍾肇政、巫永福などと比較し、黄の文学意識、上層階級意識、創作上の戦略などを明らかにすることが必要だとコメントした。また、会場からは黄霊芝の文学受容、並びに母語(台湾語)と創作言語(日本語)の使用状態についての質問、またそもそも言語を「選択する」というのはどのような意味を持つ行為なのかを問う必要があるといった意見も提出された。
 下岡氏は近年持続的に黄霊芝の小説分析を行い、すでに一定の成果を公にしている。今度の報告は黄霊芝の日本語文学活動と台湾の日本語グループの両方から論じたため、「個」と「全体」の問題がやや錯綜していた感があるが、またそれが会場の活発な議論の端緒ともなった。報告は台湾日本語文学研究の基盤につながる貴重なものと考えられ、今後とも黄霊芝文学をより一層緻密に探究することが期待される。(阮文雅記)