日本台湾学会台北定例研究会


 

第63回

 

日時 2012年11月17日(土) 15:00開始
場所 国立台湾大学台湾文学研究所
報告者 藤井 康子 氏(国立清華大学外国語文学系/天主教輔仁大学日本語文学系)
テーマ 「1920年代台湾における市制運動の展開―台南州嘉義街における日・台人の動向に着目して」
使用言語 日本語



参加体験記
 2012年11月17日、国立台湾大学台湾文学研究所で第63回台北定例研究会が開催された。報告者に藤井康子氏(国立清華大学外国語文学系/天主教輔仁大学日本語文学系)を迎え、「1920年代台湾における市制運動の展開―台南州嘉義街における日・台人の動向に着目して―」と題する報告がおこなわれた。朝から雨が降りしきる天候の悪い中ということもあったが、集まった8名の参加者によって活発な議論がおこなわれた。なお、今回はコメンテーターを指定せずに、発表終了後から自由に討論する形となった。
 藤井康子氏はこれまで、1920年代の台湾を研究対象とし、地域における中等・高等教育機関の設立や改廃をめぐる地域社会の動向について研究を進めてきた。2011年には京都大学大学院教育学研究科に「1920年代台湾における中等・高等教育と地域社会」と題した博士論文を提出し、学位を取得している。今回の発表は、これまでの研究と同じく1920年における地域社会の動向として、特に台南州嘉義街における市制運動を取り上げ、地域社会における人々の要求のありようと台湾総督府の政策とのあいだの相互作用を検討することを目的とするものであった。
 発表は、問題意識にはじまり、「第1章 1920年代における地方制度の概観と市制施行の意義」、「第2章 市制運動の担い手と運動の経過」、「第3章 市制実施をめぐる街民間の対立」、「第4章 市制施行の実現」、と続き、検討のまとめがなされるという形で進められた。
 今回検討された「市制運動」とは、1920年の地方制度改正によって設置された州庁制(台湾を5州2庁に区分し、州に市や街庄を置く)における街の人々による市制施行の動きを指している。藤井氏の発表によれば、今回、1920年代の台南州嘉義街における市制運動をとりあげるのは、日本内地とは施行されている地方制度のありかたが異なっている台湾の地方統治システムの状況のなかで、これまでの研究は地域社会が台湾総督府の進める地方制度形成に求める要求とはどのようなものであったのかということが十分に研究されてこなかったからだという。また、氏はこれまで中学校移転運動や置州運動(「1920年代台湾における地方有力者の一形態」、『日本台湾学会報』第9号)ついて検討することを通じて、こうした課題について考察を進めてきたが、これらの運動は1920年代前半に取り組まれた運動であり、20年代後半に取り組まれた市制運動とは担い手や、彼らが想定していた利害には変化があったと考えられる。そのため、今回の発表を通じてこれらの点を検討し、植民地下台湾における地域住民の政治的動向がいかなるものであったのかを、よりトータルに明らかにすることを目指したということであった。

 以下、本論では『台南新報』など、現在使い得る史料を詳細に分析・検討することで、当時の地方制度の状況や市制運動の展開と市制施行への経緯、そこに見られる地域の人々における対立関係についての考察が進められた。とりわけ、市制運動の推進にあたっては、地域の商工業者間の利害対立が顕在化し、市制施行に対して時期尚早を唱えるグループ(尚早派)と、一刻も早い市制施行を求めるグループ(促進派)との意見対立のなかで、「市制を施行する」ということに対するイメージと、それに伴って導き出される利益の相違が絡まり合いながら運動が進められていたことが明らかにされた。そのうえで、実際に1930年に市制が施行されると、どのグループにとっても思ったような「効果」が果たされず、1930年代以降の地域住民たちの「政治参加」のありようへとつながっていくという見通しも示された。
 発表後の参加者による議論では、嘉義街の人々が市制施行を目指すことになった要因をめぐる疑問や、尚早派・促進派それぞれの人々のバックボーンに関する指摘・質問が提出された。台湾の地域社会の動向を研究するうえで、史料が限られているという現実的な問題があるなかで、いかにして社会のありようや人々の思惑、運動の経緯や政策との相互関係について明らかにしていくのか、という点をめぐる議論が展開された。史料上の問題も含め、解決すべき課題はまだまだ多く残されてはいるが、地域社会の政治的動向という重要な課題をめぐって議論を進めていくための課題と方向性を明らかにしたという点で意義のある発表であり、参加者にも多くの刺激を与える発表であった。今後の研究の進展が期待される。(山本和行記)