日本台湾学会台北定例研究会


第89回

日時 2022年4月9日(土) 14時~
場所 国立台湾大学台湾文学研究所
報告者 田中美帆氏(台湾ルポライター)
テーマ 「竹内昭太郎氏の語りから辿った事柄ふたつ」
報告者

陳素玲氏(国立台北教育大学台湾文化研究所修士)

テーマ 「駱文森的故事-時空變遷中的發聲者」
使用言語 日本語、北京語
参加人数 14名

活動報告

 今回は初のこころみとして「修士論文発表会」を企画し、最近修士論文を完成させたお二人をおまねきして話をうかがった。
 田中氏が台湾師範大学台湾史研究所の修士論文でとりあげたのは、1927年台北生まれで旧制台北高校を卒業し、戦後は千葉県で教職についた後、法務省に入って、おもに入管業務にたずさわった竹内昭太郎氏である。竹内氏による『ノンフィクション 台湾島は永遠に在る 旧制高校生が見た一九四五年敗戦の台北』の中文訳『永遠的台灣島:一九四五年,舊制台北高校生眼中敗戰的台北』が2022年初頭に出版されたが、竹内氏はそれを見ることなく昨年他界された。田中氏は「移動」や台日の「境界」に注目しながら(竹内氏には在台時に満州行きの意思もあった)、経済的には比較的安定した環境にある在台日本人で、台北高校生の学徒兵であった竹内氏が、民族の別や学歴によってもたらされる格差をどのようにとらえていたのか、そして1960年代、入管官僚として日本での台湾独立運動(主要メンバーの一人が台北高校の級友の辜寛敏氏)をどのように見ていたのか、を論じた。そうした背景からか、竹内氏の語りには単純な民族主義を超越しているように感じられる点もあるという。「移動」「境界」にかんしては、日本から南米への移民などと対照する視点も示されたが、これについては質疑のなかで、移民者の経済的条件や、行き先が植民地なのか海外なのかといった政治的条件を考慮する必要があるという指摘があった。なお田中氏は在学中に学んだこととして、一次史料をみずから確認すること、および当事者の語りに慎重に向き合うことの重要性にも言及していた。
 陳氏の台北教育大学台湾文化研究所の修士論文は駱文森氏についての研究である。2016年に逝去された駱氏には私も生前に何度かお会いしており、美麗島事件の軍事法廷の場となった景美人権文化園区(当時)を案内していただいたこともある。駱氏は1932年基隆生まれで、師範学校を卒業して小学校の教員となり、その後入社した台陽鉱業では労務管理を担当、一方で労組の委員長も歴任した。そして、1970年代から90年代には朝日新聞の連絡員として台湾の政治・社会状況を伝えつづけるとともに、日本をふくむ海外メディアの台湾取材のコーディネートや通訳にも尽力した。1970年代には、外交面では中華民国の国連からの脱退、日本や米国などとの断交があり、また国内では中歴事件や美麗島事件などが起こって党国体制の動揺が始まっていた。駱氏は、党外運動が胎動しつつあったこの時期に、政治運動にかかわる人々の声の対外発信のために奔走した。陳氏は、駱氏自身による未刊行の自叙伝や日記(師範学校在学中から教職についたころに注音符号で書かれた日記がある)を使用して修士論文を執筆したということだが、駱氏が台湾の民主化の過程ではたしていた役割からすれば、まだその歴史的意義が広く知られているとは言えないと考えている。台湾から海外に伝わる情報がかぎられるなか、駱氏はそうした状況を打破すべく、危険にさらされながらも海外メディアに対する情報の提供や協力を惜しまなかった。
 竹内氏が若干年上にはなるものの、1930年前後にともに台湾北部で生を受け、長じてからは日本と台湾でおそらく接点もなく日々を送ることになったお二人であるが、田中氏と陳氏のかれらの歩んだ道に対する強い関心、そして深い共感が感じられる報告だった。参加者からも次々と質問や情報提供があり、活発な議論がかわされた。(冨田哲 記)